原発反対 大飯原発再稼働阻止(オキュパイ大飯) 2012/07/01

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その夜テントに戻って色々考えさせられました.
再稼働されてしまった….
子供の日に原発のない未来を,とか言っておいて二ヶ月足らずで….
メチャクチャ疲れていたけど,この事実を考えるとなかなか眠れなかった.
次の日,みんなに挨拶をして,撤収です.
最後にヤンシ君と会いたかったが,雨が降りそうだったし,1秒でも早く残してきた猫と畑の作物の所に戻りたかったので….
でも,これは多分,別れではなく,はじまりなのです.
また会えるに決まってるから良いよね!


みんな撤収して行きますが,不思議と,絶望感というか,そういうのはない様で,この様にのんびり雑談している場面が多く見られた.


また八時間かけて,和歌山に戻ります.
和歌山の人達にも一つ言いたい.
それは,我々和歌山県民が,原発のない県民として,まだまだやれる事はあるという事です.
放射能は容赦なしです.いつまでも陸の孤島ではいられない,現実を見ましょう(多くの国民に言える事ですが).
その気にさえなれば,政府や原発村が,どの様にして我々を殺そうとしているのか,簡単に調べられます(その際は読売や産経や地上波全チャンネルなど御用メディアは信用しない事).
遠くの地方からこそ,援護を必要としています.
私達が昔,原発建設を巡って血縁者同士でさえ引き裂かれた事を無駄にしてはならない.
今こそ私達の力を,日本国民が必要としている時なのです.
まーなんだ.難しい事はええわ.「つれもて しよら 脱☆原発」これやで!


最後に幾つか既存メディアから拾った画像を.
この方は,神々しいまでの美しさでしたが,ドラムを叩かれる人だったんですね!
見たかったなあ.


警察「御輿から降りなさい!!」
愛知県警との攻防では,しばらくこの上に乗っかっている人が横にいました.
まーなんだ,この御輿はとりあえず置いといて.
私の反対側も女の子だった….
本当に奴らは女子供もお構いなしで力ずくで押し退けてきてきます.
どさくさに紛れて手も出してきますよ.

追記: 2019/11/03
いやー,今読んだら,当時は相当キレまくってますねー.
広島型原爆二発分の放射能がいまも毎日漏れているし,最初の爆発では,そのペースで漏れたとして実に二万年分の放射能がぶちまけられた訳です.
日本には未来はなかったし,あの夜もTVでは嘘しか言っていなかった.
生き残ったのは,あの場に居た自分達だけで,それもすぐに逮捕されるかも知れない.
真っ暗な中で,ひそひそとささやきあっていた.
世界の終わりを経験したんです.少なくとも,あの時点では,認識において,それが現実だった.
想像してみてください.でもたぶん無理でしょう.
少しでも大きな声をだそうものなら,すぐに見つかって殺されるかも知れないとゆう恐怖.
あそこにいた人にしか,この体験は絶対に理解出来ない.
あれから随分と月日が流れ,今となっては忘れてしまった事も多い.
本当に自分の身に起こった事なのかも,確信がない.
それでもこれだけは言える.あの日を境に,私の人生は何もかも変わってしまった.
私も含めて,誰も多くは語りたがらない.
あの日,あそこで何が起こったのかを.

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書いた人

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