目次
(ペットロスト)最愛の猫を亡くしたあなたへ「虹の橋の使者」十七歳と三歳と私の場合
はじめに
いつか,ネットのどこかを通るパケットが偶然交差して,最愛の猫を亡くし,悲しみに打ちひしがれたあなたがここに来た時の為に.
私ほど,かくも劇的に悲しみのどん底を体験した人間はそういないと思うので,体験をお話しようと思う.
十七歳の猫を亡くしたその二週間後,そろそろ現実を受け入れ,悲しみを乗り越えたと思った矢先に,本当に特別な,最愛の猫をたったの三歳で突然亡くしたのだから.
猫を愛する飼い主にはそれぞれに物語はあるでしょうが,私のこの体験を共有する事で,少しでもあなたの慰めとなりますように.
ここに,虹の橋の向こうより,なんらかの使命を携えて,猫の神様から遣わされた,天使の様な一匹の猫がいた.
毛は雪のように真っ白,目は空のように青く,耳は聞こえなかった.
なんと鈍い,空気の読めない猫かと思っていたが,耳が聞こえないと解った時は本当に驚いた.そして途方もなく愛おしく思えたものだ.
耳が聞こえない分,ちょっとだけ我々より綺麗な世界に住んでいるのだと,私とママさん(後述)は話した.
そして誰にでも人見知りせず優しく,耳が聞こえないくせに,どこまでも突っ走っていく様な性格だった.
愛情以外の感情をまったく知らず,悲しみや憎しみといった負の感情,恐怖心さえも持ち合わせていなかった.
オズ君とゆう可愛い名前をあげたけど,耳が聞こえないから,その事をオズ君本人には伝える事が出来ず,最初はやきもきしたっけ.
結局それは最後まで叶わず,自分の名前さえ,オズ君は知らなかった.
でも,それはどうでも良い.人間には発音出来ない,猫の天国での本当の名前が他にあったに違いない.彼は紛れもなく天使だった.
たまたま足を踏み外して地上に落ちてしまい,私の元でたった三年だけど,幸せな日々を届けてくれた.
そんなオズ君が,何故三年とゆう短い年月で空に帰ってしまったのか?
その事を説明するには,まず十七歳の先住猫との関係と,私や他の猫との関係を説明しなければならない.
発端は二十年近く前にも遡る.全てを紹介する事は出来ないけれど,時系列順に写真を抜粋しながら,関連のある出来事を説明してみますので,しばしお付き合い下さい.
オズ君との出会いは途中で出てきます.
驚かれるかも知れないが,この話は現在進行形であり,実のところ,いま私は,亡くなったオズ君の棺のそばで,現実を受け入れる為のステップとしてこの文章の大半を書いています.
些細な出来事を思い出しては,その意味や理由を求めて,心の整理をしている.
明日には現実を受け入れ,オズ君を埋葬しなければならない.その勇気を出すためにも,どうしても,いまこれを書かなければならない.
登場人物
その前に,登場人物を軽く説明しておきます.
パパ | 私. |
ママさん | 私の恋人.年末年始やGWなどにしか会えない遠距離恋愛.毎晩長時間通話している. |
チョロちゃん(メス) | 初代の飼い猫.来たときからおばあちゃん.二年で亡くなる. |
うにちゃん(メス) | 二代目.十七歳没.人見知りで他の猫も苦手.愛護センター出身のエリートだが長い間パパ以外を知らず,社交性があまりない. |
りんちゃん(オス) | 三代目.存命.人見知りだが他の猫にはフレンドリー.優しい力持ちで,呼べば走ってくるおりこうさん.子供の頃の傷で見た目がユニーク. |
オズ君(オス) | 四代目.主人公.うにちゃんの二週間後に三才で天国に帰る.人間にも猫にも超絶フレンドリー. |
命名の由来
私はPCマニアなので,OSの名前にちなんで名付けており,Unix(うにちゃん),Linux(りんちゃん)ときたが,次のOSが存在しないので思い浮かばなかった.
(※ネットで有名な猫にうにちゃんとゆう子が居る事を後で知ったが,無関係である)
そこで,BOOMTOWN とゆう好きな漫画の登場人物の「小津雪ヲ(作中では単にオズ)」を頂いて,雪の様に白いから「オズ君」となった.
何を隠そう,このサイトのURL「 ozy.be 」は ozyukiwo の頭文字を取って ozy なのである.
このサイトの開始と同時に,私もハンドルネームを「小津雪ヲ」と改めた.
閑話休題.それでは,行きます.
はるか昔,2003年~
最初に猫を飼い始めたのは「チョロちゃん」との出会いである.
新聞配達をしていた時に,毎晩,ある家の軒下でうずくまっていた.
そこの家の人に魚フライの様なものを貰っていたが,食べられない様だった.
原付きのメットインに入って我が家に来た.
老齢で爪研ぎが出来なくて,伸びすぎた爪先が肉球に刺さり,動物病院で切ってもらった.
その時「年老いたから元の飼い主に捨てられたのだろう」と先生に言われた.
そんな心ない飼い主が居るのかと思ったものだ.
確かにシャムなのだから,本来は野良ではなかった筈である.
しかし,体型が示すとおり,来た時から老齢で脱水しており,水をよく飲んだ.
それでも,はじめての猫と一緒の生活は本当に幸せだった.
「長老」だからチョロちゃんとゆう名前だった.
当時存命でまだ元気だった,猫が嫌いな筈の私の祖母も,チョロちゃんの事は受け入れ,よく海苔をあげていた.
とても可愛がっていたよ.
すでにおばあちゃんなのに,うちに来てから二年も一緒に居てくれた.
日向ぼっこもした.
この「猫のベランダ」は日当たりがよく,うちに来た猫はみんな好きで,絶好の撮影スポットでもあるので,以後何度も登場する事になる.
もはや記憶の彼方とゆう事もあって,チョロちゃんの事はあまり書く事がないが,重要な出来事が幾つかある.
それは最後の日,水が飲めなくなって動物病院に駆けつけた時,チョロちゃんは原付の足元(ステップ)に乗ったのだが,走っている途中に,そこで亡くなったのである.
さぞや怖かっただろう.しかも,その動物病院は閉まっていた.
はじめての猫との別れは,途方もなくショックだった.
この出来事は私にトラウマを残し,幾つかある動物病院嫌いの要因の一つとなった.
あんな死に方をさせる位なら,心休まる家で静かに死なせてあげるべきだと強く考える様になった.
そしてチョロちゃんを,近所の山の,川の近くに埋めた.
好きなだけきれいな水が飲めるであろう静かな場所は,そこしかなかった.
記録によると,以後八年間,定期的に墓参りしていた様である.
今では地形が変わってしまって,墓である面影はない.年に一度行くかどうかとゆう頻度になってしまったし.
家の庭に埋められなかった事,これが後悔の一つでもある.
まぁ考えようによっては,大地に還ったのだと言っても良いかも知れないが.
2005年
猫を飼うのはもう二度と無理だと思った.
傷が癒えるのに半年掛かったが,新しい子をお迎えする事にした.
愛護センターから「うにちゃん」がやってきた来たその日.
たぶん生後半年くらい.
誕生日は解らないので,パパと同じ日だとゆう事にして,毎年祝った.
キーボードを叩くパパの目の前でいつも寝ていた.
手を伸ばせばすぐそこに,艷やかでフサフサのうにちゃんがいつも居た.
2008~2009年
三年が経過した.
考えてみればうにちゃんは時期が経過するにつれて好みの場所がよく変わった.
この頃は高い所が好きだった.
2012~2013年
幸せな時間は,過ぎるのが早い.うにちゃんあっとゆう間にすでに七歳.
自作カホン制作直後くらいだと思う.
私が人生で一番激しく戦ったのはオキュパイ大飯だが,このカホンも,一ヶ月後に大飯に持っていく事になる.うにちゃんはお留守番.
あの日,私は主観において世界の終わりを体験し,あの場所に集まった人にしか絶対に解らない恐怖を味わい,そして人生が変わった.
もし逮捕されたら,ひとり残してきたうにちゃんをただ孤独に歳を取らせて行くのかと,耐え難い想像をした.
今考えてみれば,あの体験も分岐点の一つだったと言える.
何故なら,私はその後,あの出来事の影響で農業や家庭菜園へと没頭してゆく事になり,畑に向かう途中でりんちゃんと出会ったのだから.
時計を装備し,ごはんの時間が解る様になった.もちろん冗談だが.
この時計は今も時を刻み続けている.
幸せな時間はあっとゆう間に過ぎてゆく.
恐ろしい事に,幸せだった筈のこの期間の記憶が私には殆どない.ただぼんやりとした実感があるだけである.まるで玉手箱の様だ.
うにちゃんにとっても,なんと十歳まで,パパ以外の人も猫も知らなかった.
ただひとり,パパの愛情を独占し続けた.他の猫が嫌いなのも,社交性を育てる機会そのものがなかったのだから,仕方がない.
2014年
この年,劇的な変化が起こる.りんちゃんとの出会いである.
当時の私は家庭菜園にも熱心で,猫のベランダでゴーヤの苗を作っていた.
あっとゆう間に秋である.
ゴーヤ苗も二階の猫のベランダに到達し,涼しい日陰を作った.
そして畑に向かうその途中,溝蓋に隠れようと走ってゆくりんちゃんを発見する.
「子猫だ!」と歓喜したのを覚えている.
しかし,捕獲して掬い上げてみると,こんな状態だった.
動物病院に行くと「この子は助かるかどうか解らんから,あんまりお金を掛けない様に」と言われ,点滴しかしてもらえなかった.
実際,次の日には箱の中で死んでいた…様に見えたが,ポンポン叩いてみると弱々しく返事をした「ま,まだ生きるニャ!」
そして起き上がって,毎日毎日モリモリ食べた.
この缶がピラミッドの様に積み上がった.
この時期,私はみかん農業で忙しく,布団で洞窟を作ってあげて,りんちゃんをそこに寝かせてお留守番させていた.
帰ってくるとそれは可愛がったものだが,忙しかったせいで,抱っこが足りなかったと思っている.
だから抱っこが苦手になってしまったのだと.
ヨードチンキを塗ってはクレープの様に剥がれるのを繰り返した.
尻尾の先端が一番問題だった.尻尾とゆうのは脊髄だから,もの凄く痛がった.
最終的に治るまで何年も掛かった.
耳は丸く切って縫合する手術をすると言われていたが,自然治癒したので結局必要なかった.
そしてこの様に,死の狭間から見事に復活を遂げたのである!
りんちゃんの用心深く,粘り強く諦めない,絶対に譲らない性格は,子供の頃のこの時期に形成されたのだ.
地獄の底からでもやってきたのか?とゆうゾンビの様な外見はもはやない.
2015年
子供の頃のりんちゃんはストーブの前が大好きだった.
今では暑がりで,炬燵の中などもあまり好きではないのだが.
膝の上もそんなに嫌いじゃなかった.
今も嫌いじゃないけど,おこたの時以外は自分からはまず乗ってこない.
うにちゃんは事あるごとにパパの膝に乗りに来たが,りんちゃんに場所を取られて面白くない思いをした.
自分からスマキになるのが好きだったが,りんちゃんが来てからしなくなった(上に乗られたりするので).
「椅子取りゲーム」が大好きで,ちょっとでも席を立とうものなら,すぐにりんちゃんが場所を取った.
うにちゃんとりんちゃんが二人で一緒にベランダを使うとゆう事はまだなかった.交代制である.
はじめての家出から帰宅したりんちゃんと安堵するパパ.
母親を探しに行ったのかと,もの凄く遠くの拾った場所まで探しに行った.現実的にあり得ないのに.
りんちゃんの家出はその後も発情期に何度かあった.
一番ひどくパパを心配させたのは二回目で,気が狂わんばかりに探した.探して探して探しまくった.
三日目に飲まず食わずで限界だったりんちゃんが隠れ家から顔を出し,名前を呼ぶパパに反応して自分から保護されに出てきた時のあの可愛さは今でも忘れられない.本当に可愛かった.
三度目の家出は,もはやりんちゃんの隠れ家が判明しているので,そう慌てる事はなかった.
発情期と言えば,去勢なのだが,この時にも事件は起こった.
迎えに行った時,りんちゃんは病室で逃げ出して,ケージの裏の隙間に隠れたのである.
捕獲する為に私も手を貸す事になったのだが,棒で追い出す獣医師の手際に腹を立てた.
そしてのちのオズ君の去勢の時も,この獣医師とのやりとりは気に入らなかった.
これが私の病院嫌いの理由2と3である.
挿絵としては,タマタマのアップの写真があるのだが,猫とは言え控えさせて頂く(笑).
ちなみに,オスなのになぜ「ちゃんづけ」なのかとゆうと,最初はメスだと思っていたから.
オスだと判明して正式名称を「りんたろう」とゆう事にしたのだが,結局そのままりんちゃんと呼び続けている.
そんな感じで2015年は過ぎ去っていった.
うにちゃん十歳,りんちゃん一歳.
2016年
原発反対運動を諦め,釣りと農業と音楽に忙しく集中していた頃である.
我が家の中では,うにちゃんも徐々に心を開き始め,りんちゃんと仲良くなっていった.
本当にベランダが好きで,今でも一日に何時間かはここでお昼寝している.
確かこの頃から,りんちゃんはテリトリーを広げようとしはじめた.
このベランダから直下の資材置き場のトタン屋根に飛び降り,一階の屋根伝いに家をぐるっと半周するのだ(地上そのものには降りない).
ようやくうにちゃんもりんちゃんを受け入れ,社交性を磨き始めたので,徐々に距離は狭まっていった.
十一歳だけどまだまだ若々しい.
十三歳になったら修行の旅に出さないといけない(ママさん)とか,いや,うにちゃんは愛護センター出のエリートだからそれは免除されている(うにちゃん擁護派のパパ)とか,ママさんと冗談を言い合っていた.
ただ,うにちゃんは徐々にベランダには出なくなっていった気がする.
パパの匂いのする服の上が大好きだった.
死ぬ最後の日も,泥だらけのパパの仕事服の上に,ヨタヨタの足腰でなんとか居座ったのだった.
一方,りんちゃんは何度禁じても巡回をやめようとしないので,遂にすだれのバリケードで外出禁止にされてしまった.
それでもりんちゃんは巡回を諦めようとせず,すだれもセットし直したりと工夫は続いた.
すぐにボロボロになるし.
2017年
この年はあまり事件が起こらず,家の中ではただ順調で,平和で,幸せな時間が過ぎていった.
ただ,うにちゃんには,少し老化の兆しとゆうか,そんなものが訪れはじた気がする.
うにちゃん,遂に十三歳,修行に出なければならない年である.
2018年
カマス釣りの帰りに,奇跡の出会いが到来する.
いつも釣りの帰りは,ある曲がり角を,曲がったり曲がらなかったりするのだが,もしあの日曲がらなかったら?
もしあと30秒でも時間が前後していたら?
もしバイクのスピードがもう少し速かったら?
この出会いは奇跡だった.ママさんに指摘されて今更ながら私はそう思う様になった.
もう少しで,轢き殺す所だった.
真夏の灼熱のアスファルトの上をヨチヨチ歩くその子を,こんな感じで地面から掬い上げたのが,のちのオズ君だったのである!!
続きます