(ペットロスト)最愛の猫を亡くしたあなたへ「虹の橋の使者」十七歳と三歳と私の場合

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目次

  1. (ペットロスト)最愛の猫を亡くしたあなたへ「虹の橋の使者」十七歳と三歳と私の場合
    1. はじめに
    2. 登場人物
    3. 命名の由来
    4. はるか昔,2003年~
    5. 2005年
    6. 2008~2009年
    7. 2012~2013年
    8. 2014年
    9. 2015年
    10. 2016年
    11. 2017年
    12. 2018年
    13. 2019年
    14. 2020年
    15. 2021年
    16. オズ君(2018/07/31 – 2021/11/14)の物語
    17. 本当の死因
    18. オズ君の使命とは何だったのか?
    19. お通夜とお葬式
    20. 虹の橋
    21. 私の宇宙観

(ペットロスト)最愛の猫を亡くしたあなたへ「虹の橋の使者」十七歳と三歳と私の場合

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はじめに

いつか,ネットのどこかを通るパケットが偶然交差して,最愛の猫を亡くし,悲しみに打ちひしがれたあなたがここに来た時の為に.
私ほど,かくも劇的に悲しみのどん底を体験した人間はそういないと思うので,体験をお話しようと思う.
十七歳の猫を亡くしたその二週間後,そろそろ現実を受け入れ,悲しみを乗り越えたと思った矢先に,本当に特別な,最愛の猫をたったの三歳で突然亡くしたのだから.
猫を愛する飼い主にはそれぞれに物語はあるでしょうが,私のこの体験を共有する事で,少しでもあなたの慰めとなりますように.


ここに,虹の橋の向こうより,なんらかの使命を携えて,猫の神様から遣わされた,天使の様な一匹の猫がいた.

毛は雪のように真っ白,目は空のように青く,耳は聞こえなかった.
なんと鈍い,空気の読めない猫かと思っていたが,耳が聞こえないと解った時は本当に驚いた.そして途方もなく愛おしく思えたものだ.
耳が聞こえない分,ちょっとだけ我々より綺麗な世界に住んでいるのだと,私とママさん(後述)は話した.

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そして誰にでも人見知りせず優しく,耳が聞こえないくせに,どこまでも突っ走っていく様な性格だった.
愛情以外の感情をまったく知らず,悲しみや憎しみといった負の感情,恐怖心さえも持ち合わせていなかった.
オズ君とゆう可愛い名前をあげたけど,耳が聞こえないから,その事をオズ君本人には伝える事が出来ず,最初はやきもきしたっけ.
結局それは最後まで叶わず,自分の名前さえ,オズ君は知らなかった.
でも,それはどうでも良い.人間には発音出来ない,猫の天国での本当の名前が他にあったに違いない.彼は紛れもなく天使だった.
たまたま足を踏み外して地上に落ちてしまい,私の元でたった三年だけど,幸せな日々を届けてくれた.

そんなオズ君が,何故三年とゆう短い年月で空に帰ってしまったのか?
その事を説明するには,まず十七歳の先住猫との関係と,私や他の猫との関係を説明しなければならない.
発端は二十年近く前にも遡る.全てを紹介する事は出来ないけれど,時系列順に写真を抜粋しながら,関連のある出来事を説明してみますので,しばしお付き合い下さい.
オズ君との出会いは途中で出てきます.

驚かれるかも知れないが,この話は現在進行形であり,実のところ,いま私は,亡くなったオズ君の棺のそばで,現実を受け入れる為のステップとしてこの文章の大半を書いています.
些細な出来事を思い出しては,その意味や理由を求めて,心の整理をしている.
明日には現実を受け入れ,オズ君を埋葬しなければならない.その勇気を出すためにも,どうしても,いまこれを書かなければならない.
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登場人物

その前に,登場人物を軽く説明しておきます.

パパ私.
ママさん私の恋人.年末年始やGWなどにしか会えない遠距離恋愛.毎晩長時間通話している.
チョロちゃん(メス)初代の飼い猫.来たときからおばあちゃん.二年で亡くなる.
うにちゃん(メス)二代目.十七歳没.人見知りで他の猫も苦手.愛護センター出身のエリートだが長い間パパ以外を知らず,社交性があまりない.
りんちゃん(オス)三代目.存命.人見知りだが他の猫にはフレンドリー.優しい力持ちで,呼べば走ってくるおりこうさん.子供の頃の傷で見た目がユニーク.
オズ君(オス)四代目.主人公.うにちゃんの二週間後に三才で天国に帰る.人間にも猫にも超絶フレンドリー.

命名の由来

私はPCマニアなので,OSの名前にちなんで名付けており,Unix(うにちゃん),Linux(りんちゃん)ときたが,次のOSが存在しないので思い浮かばなかった.
(※ネットで有名な猫にうにちゃんとゆう子が居る事を後で知ったが,無関係である)
そこで,BOOMTOWN とゆう好きな漫画の登場人物の「小津雪ヲ(作中では単にオズ)」を頂いて,雪の様に白いから「オズ君」となった.

何を隠そう,このサイトのURL「 ozy.be 」は ozyukiwo の頭文字を取って ozy なのである.
このサイトの開始と同時に,私もハンドルネームを「小津雪ヲ」と改めた.


閑話休題.それでは,行きます.

はるか昔,2003年~

最初に猫を飼い始めたのは「チョロちゃん」との出会いである.
新聞配達をしていた時に,毎晩,ある家の軒下でうずくまっていた.
そこの家の人に魚フライの様なものを貰っていたが,食べられない様だった.
原付きのメットインに入って我が家に来た.
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熱帯魚が好きで,いつまでも眺めていたっけ.
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老齢で爪研ぎが出来なくて,伸びすぎた爪先が肉球に刺さり,動物病院で切ってもらった.
その時「年老いたから元の飼い主に捨てられたのだろう」と先生に言われた.
そんな心ない飼い主が居るのかと思ったものだ.
確かにシャムなのだから,本来は野良ではなかった筈である.
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しかし,体型が示すとおり,来た時から老齢で脱水しており,水をよく飲んだ.
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それでも,はじめての猫と一緒の生活は本当に幸せだった.
「長老」だからチョロちゃんとゆう名前だった.
当時存命でまだ元気だった,猫が嫌いな筈の私の祖母も,チョロちゃんの事は受け入れ,よく海苔をあげていた.
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とても可愛がっていたよ.
すでにおばあちゃんなのに,うちに来てから二年も一緒に居てくれた.
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日向ぼっこもした.
この「猫のベランダ」は日当たりがよく,うちに来た猫はみんな好きで,絶好の撮影スポットでもあるので,以後何度も登場する事になる.
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もはや記憶の彼方とゆう事もあって,チョロちゃんの事はあまり書く事がないが,重要な出来事が幾つかある.
それは最後の日,水が飲めなくなって動物病院に駆けつけた時,チョロちゃんは原付の足元(ステップ)に乗ったのだが,走っている途中に,そこで亡くなったのである.
さぞや怖かっただろう.しかも,その動物病院は閉まっていた.

はじめての猫との別れは,途方もなくショックだった.
この出来事は私にトラウマを残し,幾つかある動物病院嫌いの要因の一つとなった.
あんな死に方をさせる位なら,心休まる家で静かに死なせてあげるべきだと強く考える様になった.

そしてチョロちゃんを,近所の山の,川の近くに埋めた.
好きなだけきれいな水が飲めるであろう静かな場所は,そこしかなかった.
記録によると,以後八年間,定期的に墓参りしていた様である.
今では地形が変わってしまって,墓である面影はない.年に一度行くかどうかとゆう頻度になってしまったし.
家の庭に埋められなかった事,これが後悔の一つでもある.
まぁ考えようによっては,大地に還ったのだと言っても良いかも知れないが.

2005年

猫を飼うのはもう二度と無理だと思った.
傷が癒えるのに半年掛かったが,新しい子をお迎えする事にした.
愛護センターから「うにちゃん」がやってきた来たその日.
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たぶん生後半年くらい.
誕生日は解らないので,パパと同じ日だとゆう事にして,毎年祝った.
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猫のベランダ.
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キーボードを叩くパパの目の前でいつも寝ていた.
手を伸ばせばすぐそこに,艷やかでフサフサのうにちゃんがいつも居た.
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そしてたまに起き上がってはチューもした.
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2008~2009年

三年が経過した.
考えてみればうにちゃんは時期が経過するにつれて好みの場所がよく変わった.
この頃は高い所が好きだった.
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2012~2013年

幸せな時間は,過ぎるのが早い.うにちゃんあっとゆう間にすでに七歳.
自作カホン制作直後くらいだと思う.
私が人生で一番激しく戦ったのはオキュパイ大飯だが,このカホンも,一ヶ月後に大飯に持っていく事になる.うにちゃんはお留守番.
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あの日,私は主観において世界の終わりを体験し,あの場所に集まった人にしか絶対に解らない恐怖を味わい,そして人生が変わった.
もし逮捕されたら,ひとり残してきたうにちゃんをただ孤独に歳を取らせて行くのかと,耐え難い想像をした.
今考えてみれば,あの体験も分岐点の一つだったと言える.
何故なら,私はその後,あの出来事の影響で農業や家庭菜園へと没頭してゆく事になり,畑に向かう途中でりんちゃんと出会ったのだから.

うにちゃんのお気に入りの場所のひとつ.祖母が買った椅子.
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時計を装備し,ごはんの時間が解る様になった.もちろん冗談だが.
この時計は今も時を刻み続けている.
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幸せな時間はあっとゆう間に過ぎてゆく.
恐ろしい事に,幸せだった筈のこの期間の記憶が私には殆どない.ただぼんやりとした実感があるだけである.まるで玉手箱の様だ.
うにちゃんにとっても,なんと十歳まで,パパ以外の人も猫も知らなかった.
ただひとり,パパの愛情を独占し続けた.他の猫が嫌いなのも,社交性を育てる機会そのものがなかったのだから,仕方がない.
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2014年

この年,劇的な変化が起こる.りんちゃんとの出会いである.

当時の私は家庭菜園にも熱心で,猫のベランダでゴーヤの苗を作っていた.
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夏の間ずっと抱っこされていると,
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あっとゆう間に秋である.
ゴーヤ苗も二階の猫のベランダに到達し,涼しい日陰を作った.
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そして畑に向かうその途中,溝蓋に隠れようと走ってゆくりんちゃんを発見する.
「子猫だ!」と歓喜したのを覚えている.
しかし,捕獲して掬い上げてみると,こんな状態だった.
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それでもリュックに入れて大喜びで連れ帰った.
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動物病院に行くと「この子は助かるかどうか解らんから,あんまりお金を掛けない様に」と言われ,点滴しかしてもらえなかった.
実際,次の日には箱の中で死んでいた…様に見えたが,ポンポン叩いてみると弱々しく返事をした「ま,まだ生きるニャ!」

そして起き上がって,毎日毎日モリモリ食べた.
この缶がピラミッドの様に積み上がった.
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ゴクゴク飲んだ.
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ブリブリうんちをした.
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もうないのかニャ?
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この時期,私はみかん農業で忙しく,布団で洞窟を作ってあげて,りんちゃんをそこに寝かせてお留守番させていた.
帰ってくるとそれは可愛がったものだが,忙しかったせいで,抱っこが足りなかったと思っている.
だから抱っこが苦手になってしまったのだと.
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目薬を二種類もらっていた.
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毎日目薬を差しているとどんどん目が開いてきた.
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しかしこの耳は問題だった.
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壊死した耳がちぎれてしまった.
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ヒゲが少し生えてきた.
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ヨードチンキを塗ってはクレープの様に剥がれるのを繰り返した.
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尻尾の先端が一番問題だった.尻尾とゆうのは脊髄だから,もの凄く痛がった.
最終的に治るまで何年も掛かった.
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耳は丸く切って縫合する手術をすると言われていたが,自然治癒したので結局必要なかった.
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そしてこの様に,死の狭間から見事に復活を遂げたのである!
りんちゃんの用心深く,粘り強く諦めない,絶対に譲らない性格は,子供の頃のこの時期に形成されたのだ.
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地獄の底からでもやってきたのか?とゆうゾンビの様な外見はもはやない.
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一方,うにちゃんはあまり面白くない様子だった.
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2015年

子供の頃のりんちゃんはストーブの前が大好きだった.
今では暑がりで,炬燵の中などもあまり好きではないのだが.
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寒い夜はパパの懐に入って過ごした
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膝の上もそんなに嫌いじゃなかった.
今も嫌いじゃないけど,おこたの時以外は自分からはまず乗ってこない.
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うにちゃんは事あるごとにパパの膝に乗りに来たが,りんちゃんに場所を取られて面白くない思いをした.
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自分からスマキになるのが好きだったが,りんちゃんが来てからしなくなった(上に乗られたりするので).
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本当に可愛くなった.
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もちろんうにちゃんが可愛くない訳ではないが.
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どことなく悲しげ.
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「椅子取りゲーム」が大好きで,ちょっとでも席を立とうものなら,すぐにりんちゃんが場所を取った.
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大きくなったが,まだまだ幼さが残る.
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うにちゃんとりんちゃんが二人で一緒にベランダを使うとゆう事はまだなかった.交代制である.
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はじめての家出から帰宅したりんちゃんと安堵するパパ.
母親を探しに行ったのかと,もの凄く遠くの拾った場所まで探しに行った.現実的にあり得ないのに.
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その日,二人でごちそうを食べた.
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りんちゃんの家出はその後も発情期に何度かあった.
一番ひどくパパを心配させたのは二回目で,気が狂わんばかりに探した.探して探して探しまくった.
三日目に飲まず食わずで限界だったりんちゃんが隠れ家から顔を出し,名前を呼ぶパパに反応して自分から保護されに出てきた時のあの可愛さは今でも忘れられない.本当に可愛かった.
三度目の家出は,もはやりんちゃんの隠れ家が判明しているので,そう慌てる事はなかった.

発情期と言えば,去勢なのだが,この時にも事件は起こった.
迎えに行った時,りんちゃんは病室で逃げ出して,ケージの裏の隙間に隠れたのである.
捕獲する為に私も手を貸す事になったのだが,棒で追い出す獣医師の手際に腹を立てた.
そしてのちのオズ君の去勢の時も,この獣医師とのやりとりは気に入らなかった.
これが私の病院嫌いの理由2と3である.

挿絵としては,タマタマのアップの写真があるのだが,猫とは言え控えさせて頂く(笑).
ちなみに,オスなのになぜ「ちゃんづけ」なのかとゆうと,最初はメスだと思っていたから.
オスだと判明して正式名称を「りんたろう」とゆう事にしたのだが,結局そのままりんちゃんと呼び続けている.

これは遂に二人を同時に膝に乗せる事に成功した時の写真.
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そんな感じで2015年は過ぎ去っていった.
うにちゃん十歳,りんちゃん一歳.
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2016年

原発反対運動を諦め,釣りと農業と音楽に忙しく集中していた頃である.
我が家の中では,うにちゃんも徐々に心を開き始め,りんちゃんと仲良くなっていった.

そのりんちゃんはこんなにも立派に育っていた.
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やっとこの距離感.
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本当にベランダが好きで,今でも一日に何時間かはここでお昼寝している.
確かこの頃から,りんちゃんはテリトリーを広げようとしはじめた.
このベランダから直下の資材置き場のトタン屋根に飛び降り,一階の屋根伝いに家をぐるっと半周するのだ(地上そのものには降りない).
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ようやくうにちゃんもりんちゃんを受け入れ,社交性を磨き始めたので,徐々に距離は狭まっていった.
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十一歳だけどまだまだ若々しい.
十三歳になったら修行の旅に出さないといけない(ママさん)とか,いや,うにちゃんは愛護センター出のエリートだからそれは免除されている(うにちゃん擁護派のパパ)とか,ママさんと冗談を言い合っていた.
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ただ,うにちゃんは徐々にベランダには出なくなっていった気がする.
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パパの匂いのする服の上が大好きだった.
死ぬ最後の日も,泥だらけのパパの仕事服の上に,ヨタヨタの足腰でなんとか居座ったのだった.
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一方,りんちゃんは何度禁じても巡回をやめようとしないので,遂にすだれのバリケードで外出禁止にされてしまった.
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それでもりんちゃんは巡回を諦めようとせず,すだれもセットし直したりと工夫は続いた.
すぐにボロボロになるし.
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2017年

この年はあまり事件が起こらず,家の中ではただ順調で,平和で,幸せな時間が過ぎていった.

この頃になるともうすっかり仲良しである.
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椅子取りゲームしたり,
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日向ぼっこしたりした.
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ただ,うにちゃんには,少し老化の兆しとゆうか,そんなものが訪れはじた気がする.
うにちゃん,遂に十三歳,修行に出なければならない年である.
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背中もこのとおりかなりごつごつと骨ばってきている.
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2018年

そして遂に運命の年が訪れる.
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相変わらず釣りに夢中のパパ.
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カマス釣りの帰りに,奇跡の出会いが到来する.
いつも釣りの帰りは,ある曲がり角を,曲がったり曲がらなかったりするのだが,もしあの日曲がらなかったら?
もしあと30秒でも時間が前後していたら?
もしバイクのスピードがもう少し速かったら?
この出会いは奇跡だった.ママさんに指摘されて今更ながら私はそう思う様になった.

もう少しで,轢き殺す所だった.
真夏の灼熱のアスファルトの上をヨチヨチ歩くその子を,こんな感じで地面から掬い上げたのが,のちのオズ君だったのである!!
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ただ,私はその時かなり躊躇した.
見ると,母親の猫が近くにおり,別の子を咥えてある家の塀を飛び越えるところだった.オズ君はひとりでその母親を追って,灼熱の車道にヨチヨチ飛び出してしまった所だった.
その家は,以前からネコ缶を置いている事に私は気付いていて,猫好きが住んでいる事は間違いない.
だからこそオズ君の母親もそこに出入りしていた訳で.
しかしその母親は,恐らく我が子を守るために野生動物とでも戦ったのであろう,しっぽが千切れて丸く肥大する大怪我を負っており,そんな状態で何匹も育てられるのかと思案した.

もしこのまま放置すれば,この子は長く生きる事は恐らく出来ないだろう.しかし,母親の側でそれはそれで幸せな人生を送るだろう.
母親にとっても,子孫を残すとゆう野生の観点からすれば,人間に我が子を取られるとゆうのは,死んだのと同じ事であり,人間の元で長生きする事に意味はないだろう.

どちらが良い事であるかは,その時点では判断する事は出来なかった.
しかし,保護するとゆう決断を下した大きな理由がある.
それは,ママさんが以前から猫を飼いたいと言っており,ママさんの誕生日が近かった事である.

いま,これを書きながらはっきりと断言出来る事は,拾って正解だったとゆう事である.
拾わなければ,こんなとてつもない深い悲しみに暮れる思いをする事もなかったが,その何倍も,何倍も何倍も何倍も,喜びを与えてくれた!

そんな訳で,釣りベストのポケットに余裕で入る小さなその子は我が家にやってきた.
いきなりカマスのお寿司をもりもり食べた.
オズ君の大好物が魚になってしまったのがこのせいだとすれば,これも早死の分岐点かも知れない.
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何事かと匂いを嗅ぎに来るうにちゃん.「また変なの拾ってきたニャ?」
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ニーニー.もっとー.
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ヨチヨチ.
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ノミが200匹は寄生していた.
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いきなりお外は眩しいニャ.
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バイクの上に乗せられたオズ君.
仕事場のダンボールから飛び降りる訓練をしたっけ.
ジャンプの仕方を教えるのが途方もなく楽しく,幸せだった.
うまく出来た時は「上手に出来たニャー!」とベタ褒めした.
時には勢い余って,飛び降りてそのまま前転してしまったりもした.
小さいのに,本当に上手だったよ.いま,もう一度,傍らのオズ君の亡骸に褒めながら,なんと立派に育った事かと思う.
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ネコ缶も,パパが釣ってきた魚も,モリモリ食べた.
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日に日にどんどん大きく,綺麗になっていった.
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脱走を除いて,正式に外で遊んだのは二日だけである.
まだ室内には入れず,仕事場にケージを置いていたので外で遊ぶ事が出来た.
そして耳が聞こえない事が判明したのも,仕事場に置いていたからこそだった.
私がバイクで騒音を立てながら帰ってきても,全く起きる事もなく寝ていて,ケージを開けて撫で撫でしてはじめて飛び起きて大喜びするのだった.

この子が天使じゃないとゆうのなら何なのか?
そして何故三才で死ななければならなかったのか?
ただただ,涙が溢れてならない….
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いきなり猛ダッシュで走り出し,車道にも飛び出そうとするので,二回目はリードをつけた.
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しかし,まだ力が弱く,リードが枯れ草に絡まって,自由には歩き回れなかった.
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パパにはかなわないニャ.
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ガジガジが大好きだった.
大好きすぎて自分から大半の門死を抜いてしまう事になるのだが,ウイルスで痒かったのかも知れない.
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パパの手のひらの上で,何時間もでんぐり返しや高い高いをされた日.
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私の父親と弟が釣りの話をしていて,私もそれに時折加わりながら,オズ君と夢中で遊んだ.
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パパ大好きだニャ!
宝石の様な日だった.
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ノミ取りも終わって部屋にあげてもらって,三人の生活が始まった.
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パパとべったりである.
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しかし,恐らくはオズ君が持ち込んだであろうウイルスで,りんちゃんもうにちゃんも瀕死の病気になり,一週間ほど苦しむ事になる.
うにちゃんはいよいよ本格的に体調を崩し,食べられない,グルーミング出来ない症状に陥って病院に行く事になる.
この時からうにちゃんの闘病生活がはじまった.カリカリが食べられず,ウエットオンリーとなった(のちに説明するが,これがオズ君の早死の原因ともなる).
うにちゃん十四歳.
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オズ君は食べ方に特徴があって,恐らくは兄弟猫と器を共有していたのであろうと思われる.
自分の食べる分を,まず手前に盛大にこぼして,他の猫に取られない様に確保するのである.
また,幼少期のこの競争のせいで,食欲が非常に旺盛で,他の猫を押しのけてまで,食べられる時に食べるとゆうクセがある.
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どんどん大きくなっていった.
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弾き語りの足タンバリンに反応してパンチパンチしていた.
もちろん,聞こえていないので,動きが面白かったのだろう.
仏壇にお経をあげてくれてる坊さんの木魚にもパンチパンチしに行って,私の母親を笑わせた事もあった.
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一方,りんちゃんはお外が禁じられてもこのとおり穴を開けて屋根周りの巡回に出かけるのだった.
自分のやるべき事はやる,絶対に主張を譲らないのがりんちゃんである.
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オズ君が凄い勢いでうにちゃんのウエットフードを盗むので,しょうがなくうにちゃんにだけ階下でごはんをあげる様になった.
これは二階に取り残された二人で,まだりんちゃんも階段の使い方を知らない.
そんな猫が居るのかと思うが,本当の話.
そしてりんちゃんは,理由は解らないが,階下の仏間をこの上もなく恐れていた.
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我が家のトイレはこんな感じで,デオトイレに砕けるタイプのチップ.
これだけでは足りなくなり,りんちゃん用にもう一つ専用の箱を追加した.
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実はこれがオズ君の早死の原因となった非常に重要なポイントでもある.
それは,発情期が来たりんちゃんが,所構わずスプレーするので,「ザシュ!ザシュ!(足踏みの音)専用トイレ」を設置し,「ここでシにゃ!」と躾けた事である.
オズ君は頭がよく,来た時からトイレの使い方を知っていた.そしてりんちゃんの「ザシュッ!ザシュッ!」を見ていたので,発情期が来たからトイレに居座る様になったのだと,私が勘違いするのに十分な理由となった.

死ぬしばらく前にもオズ君はトイレを専有した.そして私は「上手に出来たニャー,好きなだけシッシして良いでー」と褒めるばかりだった.
しかし,その後もおしっこは普通以上にしていて,チップは毎日大量に砕けていた.だから放尿に問題があるなどとは夢にも想像出来なかった.

もし私に,去勢済みでも発情しうるとゆう知識がなければ,様子がおかしい事に気付いた筈である.

とは言えそれはまだ先の話しで,この時点ではオズ君はまだ小さい.
作業机を作った日.
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この頃からへんなポーズの追求が始まる.
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りんちゃん通行止め.これでも脱走するので,最終的にはお外巡回を解禁するしかなくなる事になる.
しかし,耳の聞こえないオズ君は当然外に出てはいけないので,これははじめから問題だった.
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差別したくないとゆうのが親心である.
うにちゃんにだけウエットをあげて,他の二人にはドライだけとゆう事が,どうしても出来なかった.これも早死ポイントのひとつ.
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オズ君が凄い勢いで催促するし,うにちゃんの分を奪うので,全員にあげるしかない.
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通行止め解禁.もう諦めて通り放題になった.
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もうすっかり大人のサイズだが,心はまだまだ子猫だった.
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2019年

18年大晦日から19年元旦にかけて.
お菓子やご馳走やお酒と一緒にオズ君も並んで,ママさんのお出迎えの準備をしている.
幸せいっぱい.ママさんまだかニャまだかニャ?
まさかこの水色のバットがオズ君の棺になろうとは….
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2019年の分はこの二枚しか残っていないが,ママさんとみんなが一緒だった最高に幸せだった日々.
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また,この日,ママさんが上がり戸を閉め忘れたせいでオズ君が道路に出てしまい,状況を素早く察知したパパにマッハで捕獲されて事なきを得た.
この時,私はママさんに「この子は長生き出来やんやろうな」と言った事を先程思い出し,ママさんに確認したら,確かに言ったという.
その時は,耳が聞こえないせいで車に轢かれて死ぬかも知れないとゆう意味だったが,長生き出来なかった事だけは,本当に当たっていた.
この日,ママさんもここぞとばかりに,みんなにちゅーるだのササミだのカツオだのをあげまくった.
私の飼育方針として,フードは基本的にドライ派なのだが,これ以後はみな舌が肥えてしまい,ウエットフードを中心にあげ続けざるを得なくなった.
この出来事も非常に大きな早死ポイントの一つと言える.

うにちゃんがはじめてオズ君に心を許し,グルーミングされた日.
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出てはいけない筈のトタン屋根に降りたオズ君.
手作業でりんちゃんだけを出してオズ君を室内に留めるとゆうのは,非常に難しかった.
覚えている限りでは十回近く,オズ君は外に出た.そのうち少なくとも二回は道路まで降りたし,三回は床下に入って,パパに叱られると思ってなかなか出てこなかった.
りんちゃんはおりこうさんなので本気を出せば猫のベランダの戸を開ける事ができ,勝手に開けて帰宅してそのままになっていて,オズ君が出てしまうとゆう事が何回かあった.
その時パパは狂った様にオズ君を探しはじめ,一度などは窓を開けっ放しにしたりんちゃんをきつく叱ったりもした.
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ゴールデンウィーク.ママさんとのツーショット.
最高に幸せだった十日間.
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本当に,人生で一番幸せだったよねオズ君.
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人見知りのりんちゃんもやっと抱っこされた.
通話ではよく耳にイヤホンを突っ込まれて,何度もママさんと話したりはしていた.
私のシンバル内蔵カホンが食卓代わりだったが,小さすぎて不便だった.考えてみればこのカホンにも思い出が詰まっているものだ.
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オズ君は何をしても全力でまっすぐで,遊び始めたら止まらなかった.
ボール遊びなどはいつまでも遊ぶ音がうるさくて,子供の頃にパパに早々に禁止された.
サッカー選手を目指していたが,パパに許して貰えなかったと,ママさんと冗談を言っている.
ママさんに買ってもらった「CIAOちゅ縲怩ヤ(ちゅーるのぬいぐるみ)」も,いつまでも遊ぶので手の届かない天井にこんな感じにぶら下げていた.
しかし,気がつけばこのチューブが落ちているのである.気のせいかと思って元に戻してもやっぱり落ちている.
パパとママさんが見ていない時に,オズ君がジャンプではたき落として遊んでいたのである.
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そんな日々も夢の様に過ぎ,平常時に戻っていった.
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うにちゃん十五歳.体型もすっかりおばあちゃん.
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仏壇の座布団はオズ君のお気に入りだった.
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この仏壇は私の祖母が買ったもので,私が七歳の時,祖父が亡くなった時に我が家に来た.
元々ここにあった訳ではなく,この部屋は2017年に亡くなるまで祖母の病室だった.恐らくりんちゃんが階下を恐れていた原因はそれだろう.
うにちゃんとは十三歳の頃から二人羽織でよくお参りしたものだ.
最初は「長生き出来ますように」だったのが,十七歳頃には「長生き出来ました.幸せでした」になり,最後の日には「ありがとうございました.にゃむあみだぶにゃむあみだぶ…」になった.
オズ君とは最後の日,一度だけ助けて下さいと,一緒にお参りした.
しかし,私一人でお参りした時は,元々全てを受け入れる覚悟なので「出来れば助けて下さい」みたいな心境だった.これがいけなかったのかも知れない.
そして,いざオズ君が亡くなってみると,全てを受け入れるどころか,なんと心の準備が出来ていなかった事か.
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オズ君の変なポーズのうちのひとつ.
外敵に襲われるなどとは夢にも思った事がない.危害を加える存在が居るなどとは,オズ君には想像も出来ないのだ.
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今思えば,これらは天使の必殺技の決めポーズだったのかも知れない.
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こぐまのあざを書かれた日.
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ラングドシャをラングド社と勘違いしていた私は,オズ君の舌の突起が鋭くて舐められると痛い事を茶化して,オズ君がラングド社の社長だとゆう設定を毎日の通話の中につけ加えた.
そしてラングド社の社員は,全員がこぐまちゃんなのであった.
そんな架空のストーリーが幾つも生まれた.
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いっぽううにちゃん,十五歳.
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この文書を書き始めるまで,昔はうにちゃんのお気に入りの場所がキーボードの前だったとゆう事も忘れていた.
あんなに艷やかで滑らかだった毛皮も,もはやこのとおり,骨ばってパサパサになってしまった.
こんな感じでこの場所に来る事自体も,恐らくはほとんど子供の頃以来だろう.
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2020年

お正月.
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白い事をネタに,通話の中でカレーのごはんにされたりと,何かとイジられてばかりだった.
冗談のバリエーションの追求が,パパとママさんの日課だった.
オズ君自身も,至って真面目ではあるが,笑いのセンスがあって,お風呂マットの下に隠れてボコッ!と膨らんで隠れたつもりになっていたり,自分から洗濯物の袋に入っていて洗濯されようとしてみたり,それ以上白くなってどうするんや!とか突っ込まれたりした.
りんちゃんとプロレスしていて,りんちゃんの鼻の穴にオズ君の爪が引っかかって取れなくなって大騒ぎしたり,ママさんを空港に送って帰ってきたら,三時間前とまったく同じポーズで1ミリも動かずに眠り続けていたりと,笑いを届けてくれた.
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屋根周りを巡回するりんちゃん.
これはりんちゃんに任された重要な仕事のひとつとなった.
そして何度も,夜にセミやバッタや幼虫を捕まえてきては,パパにくれた.
野良猫を追い払う事が何度かあった.逆に,メス猫につられて地上に降りてしまいそうになる事もあった.
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うにちゃん十六歳.
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体重もすっかり減り,いつまで膝に乗せていても重くない.
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この頃になるとうにちゃんの定位置はこのあたりになって,本当に寒い日以外は,一緒に寝てくれなくなっていた.
お別れが近いのでパパを悲しませたくない為だとママさんに説明した.
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腎臓の悪化が進み,日に日に水をよく飲む様になった.
階下のお風呂でも,洗面器に新鮮な水を入れてもらってよく飲んだ.
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おこたでのりんちゃんの定位置は,パパの左の傍らで,これを書いている今現在も,二年近く前のこの写真とまったく変わらずにこの位置で同じポーズで寝ている.
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この炬燵についても書いておかなければならない.
祖母の形見で,寒い日はみんなで潜り込んで団欒をした.
そんな寒い冬の日の団欒は幾度となくあった.その度に,幸せを実感した.
「パパのおばあちゃんがみんなの為に買ってくれてたおこたやでー」とか「快適だニャー」「幸せだニャー」「あったかいニャー」と言いながら,おこたの中でみんなを撫でるのだった.
小さい炬燵に四人(私と猫三匹)も入ればぎゅうぎゅうで,くっつきあっていた.
そしてみんなで団欒した事を,毎日ママさんに通話で報告した.
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春が訪れた.巡回中のりんちゃん.
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うにちゃんは明らかに疲れを隠しきれなくなってきた.
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幸せな日々は続いたが,
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オズ君の病気が徐々に進行しているとは,想像する事も出来なかった.
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こんなにも仲良しで元気いっぱいで,毎日追いかけっこやプロレスをして遊んだ.
その度にパパにやさしく注意された.
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決めポーズの探求にも余念はなかった.
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これは記念すべき,りんちゃんがはじめて階段を降りる事を覚えた日.
嘘のようだが,あんなに屋根周りを巡回するりんちゃんなのに,六歳まで階段の昇り降りが出来なかった!
嫌がるりんちゃんを抱っこし「しっかりパパに掴まってろよ!」と言いながら,りんちゃんにしがみつかれて階段の昇り降りを何度もしてみせた.
階下の仏間に着地させ,怖い場所ではない事を教えた.
オズ君はすでにひとりで昇り降りが出来ていたので,その助けもあってりんちゃんは一階を知る事が出来たのである.
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この夏のうにちゃんの定位置は工具置き場だった.涼しいらしい.
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幾ら体重が減ってしまったとは言え,人間用の体重計では計れないよ,うにちゃん.
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こんな風に寝ていたら,決まってパパに鼻チューをされた.
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暑がりのりんちゃんと違って,夏でもオズ君はパパの匂いのする布団の上が好きだった.
振り返ればいつもそこで,いつまでも寝ていた.
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夏のりんちゃんはこんな感じで寝ている事が多い.
子供の頃はあんなに好きだったのに,もうパパの足を引っ掛ける事は一度もない.
オズ君が来てから,一気にりんちゃんは性格がお兄ちゃんになった.
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りんちゃんも階段を覚え,ひとりでも一階の居間に来れる様になった.
このドアの側でりんちゃんとオズ君が,カメラの位置がうにちゃんとパパが食べる場所になった.
何故こうなったかとゆうと,元々オズ君に取られない様に階下でうにちゃんにだけウエットフードをあげる様にしていたのが,結局はみんながついて来る様になった為.
そしてうにちゃんは,日に日に偏食する様になり,フードを工夫する必要が増してきた.
開けたばかりのネコ缶を食べない時などは,ついつい怒ってしまったりもした.食べたくても食べられないのだとゆう事が,その時は理解出来なかった.後悔のひとつ.
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かなり前から,うにちゃんは歯をやられ,よだれが垂れ流しになり,抗生物質で凌いでいた.
床が汚れるのでパパにタオルを敷いてもらったのだが,それが気に入らず,この場所には居られなくなった.
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2021年

お正月.
釣ってきたエソの骨抜きをするママさんとその肉を食べるりんちゃん.
私のお気に入りの一枚である.この正月もみんなが一緒で幸せな日々だった.
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次のうにちゃんの定位置はここになった.
人間で言えば黄疸?の様なものが出来はじめていて,徐々にお別れが近づいてくる.
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タオルがぐちゃぐちゃになるので,洗濯バサミで固定したのだが,なんとうにちゃんはそれを気に入らず,この場所も捨ててしまう事になる.
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確かこの頃だったと思うが,ある夜の通話のあと,工具室でごはんを食べていたうにちゃんが激しい突然発作を起こし,のたうち回って苦しんだ.
そしてビクンビクンって止まりそうになって,もう死んだと思って,電話を取りに行ったら,その時にまた暴れだして,偶然階段から転がり落ちた.
その時のショックで再び心臓が安定したのだろうか,奇跡的にうにちゃんは助かった.
ママさんに報告しながら,うにちゃんの名前を連呼した.うにちゃんもキョトンとしていて,まだ天国じゃない事を不思議がっていた.
うにちゃんはこの日死んでいる筈だった.この日から,私達は毎日を贈り物だと考える様になった.
そして最後の日まで,いつもどおりの幸せを,いつもどおりに過ごし続ける決意をした.

夏が近づいてくる.一日も欠かさずに屋根の周りを点検するりんちゃん.
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りんちゃんのあまえんぼの時のポーズ.と,このダンボール箱「わしのいわし」
これが,オズ君の死因の一つでもある.
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うにちゃんのフードを工夫しまくった結果,老猫用カルカンパウチといわしと水のミックスが最終仕様となった.
そして,差別は出来ないので,りんちゃんとオズ君にもいわしは毎日与え続けた.
りんちゃんはおりこうさんで,自制する事を知っており,ウエットと言えどむやみに食べ過ぎたりはしないが,オズ君は子供の頃形成された性格のせいで,とどまる事を知らない.
うにちゃんが食べられない時は,決まってオズ君がお皿がピカピカになるまで完食した.
私としては,もちろん体に悪い事は解っているが,うにちゃんはそれしか食べられないのだし,オズ君も若いから平気だと思っていた.

満腹になったら夏はいつもこんな感じに伸びていた.
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かくれんぼが得意なりんちゃん.
この左側の窓が西に面していて「オズ君担当」の窓である.オズ君はこちらを見張る役で,りんちゃんは南と東をパトロールして,家を守っていたのだった.
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今になってやっと気付いた事がある.
オズ君が何時間も見ていた方向は,ほぼ寸分違わず,オズ君を拾った場所の方角だった.
帰巣本能があるから解るのだろう.
距離としては直線で500メートル前後だろうか?しかし四車線道路に阻まれており,耳の聞こえないオズ君が自力で帰れるとは思えない.
残してきた母親や兄弟たちが気になっていたに違いない.
私としてはオズ君が子供の頃「オズ君のお母さんは強いでニャー」とか「オズ君はお母さんにそっくりやニャー」とか「お母さんに会いたいニャー」と言いながら,よしよししてあげたのだった.
もちろん聞こえていなかっただろうが,気持ちは伝わっていたに違いない.だからこそうちに居続けてくれたのだ.

ママさんの誕生日ディナー.
パパの育てた枝豆に,パパの釣ったハマチの姿造り,パパの釣ったアジのあせ寿司,パパの育てたじゃがいもとカボチャ,パパが解体したイノシシの肉.
オズ君もママさんに刺身をいっぱい貰った.
いつもと同じく,釣りや畑に出かけて,みんなはお留守番した.
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十月末.遂にお別れの日がやってくる.うにちゃんが亡くなった日.
しばらく前からトイレがちゃんと出来ず,おむつをしている.
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もはやまともに歩く事も出来ず,食べる事も飲む事も出来ない.階段を登れずに転落したので,移動はパパに運んでもらってした.
仏壇に「ありがとうございました.いま行きます.にゃむあみだぶ…」と,二人で最後のお参りをした.
異変を察知したりんちゃんが家中に砂を撒き始めた.
いつもどおりにおこたで四人で団欒をした.
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最後の日向ぼっこ.りんちゃんと一緒に昔大好きだったベランダに乗せてもらった.
午前中に点滴をしてもらって,なんとか生きている状態.
最後の一日をお金で買った様なものだった.
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うにちゃんを膝に乗せ,ギルドウォーズ2(オンラインゲーム)をしながら「昔はこうやって二人で一緒にゲームしたにゃー」と声をかける.
子供の頃好きだった膝の上で死なせてあげたいが,身じろぎしてそれが出来ないであろう事を知る.
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13時頃,ベッドの上に移動.パパの胸の上にうにちゃん,左にオズ君,右にりんちゃんが寝た.
そしてうにちゃんの耳にイヤホンをはめてあげる.ママさんとの最後の通話をした.
ママさん「うにちゃん,ありがとう」

動けないうにちゃん.最後の場所をここに決める.ここもうにちゃんが好きだった場所.
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うにちゃん,大好きだよ.
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徐々に弱まってゆく命の灯火.スポイトで定期的に口を湿らせてやる.
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「うにちゃん,17年もありがとう.猫の長生きの新記録やで,良かったにゃ!」
「うにちゃん,お目々かわいいにゃ,お耳かわいいにゃ,お鼻かわいいにゃ,うにちゃん全部かわいいにゃ!」子供の頃よくパパに褒められた言葉で励ます.
「うにちゃん,しっぽ綺麗やて先生に褒められたでにゃ,17年経ってもいまも綺麗やでー」
「うにちゃん,先生もおばあちゃんも待っててくれてるで」
「うにちゃん,虹の橋で待っててにゃ.パパもすぐ行くからにゃ」
「うにちゃん,パパのほうずっと見てにゃよ」
「うにちゃん,パパここに居てるで」
「うにちゃん,もうねんねしにゃ,もうお目々閉じて」
「うにちゃん,もう頑張らなくていいで」

そして15:50頃,うにちゃんは死んだ.
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その直後のりんちゃん.
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と,オズ君.
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翌日.
前からしたかった,祖母のクッションの修理をした.
りんちゃんはうにちゃんの,オズ君はチョロちゃんの首輪で正装し,みんなでご馳走を食べた.
そして庭の,ビワの木の元に墓穴を掘った.
夜,ママさんとお経を流してお通夜をし,うにちゃんが子供の頃からの全ての写真の上映会をし,昔話をした.
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うにちゃんに別れのチューをするりんちゃん.
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お葬式.
みんなで普段通りに過ごした.
午前中はPCや草刈り機の修理をし,香炉灰も数年ぶりに清掃した.
そして16時頃に「うにちゃんそろそろお墓行くかー」と出棺.
この靴下はうにちゃんのお気に入りで,パパのお古の靴下やパンツをカミカミしながら,ドライフードを交互に食べるのが好きだった.歯ごたえが良かったのか,とにかくそうした.
きれいに洗って乾かし,持たせてあげた.これ一枚なら,咥えて虹の橋まで運べる筈である.
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夜はみんなでご馳走を食べた.うにちゃんの分はりんちゃんとオズ君が食べた.
りんちゃんは日課の見回りで,眼下の墓の存在にすぐに気付いた.
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うにちゃんの最後の居場所だった場所に,ブラッシングで貯めていたうにちゃんの毛を置いてみた.
いま現在もこの場所にあり,多分,これから先も,ここに置き続けるだろう.
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遺影だけは机に移動して,その後もお参りし続けた.
この写真は,動物病院の先生が撮ってくれたもので,来院する子の写真を全員残らず「もの凄くよく写る」という安物のインスタントカメラで喜んで撮っていた.
そして現像して額に入れ,飼い主たちに無料で配っていた.
たぶん先生は,17年前のあの日から,この日が来る事が解っていて,精一杯の出来る事をしてくれたのだろう.
実際,うにちゃんのプリントアウトはこれ一枚しかないのだ.
あの先生もとっくに亡くなって,今は同名だがまったく血縁も関係もない病院が町に出来ている.
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最後の日は,充実した悲しくて良い日だった.これ以上望めない程パーフェクトに.
私は一人でうにちゃんの居ない宇宙に迷い込んでしまった.それはもうどうやったって覆せない.船出するフェリーの様なものだ.
生きるとゆう事は変わり続けるとゆう事だ.これから先も変わり続ける…今日が思い出せなくなるまで.

香炉灰を掃除している時,どこからともなく金木犀の香りが漂ってきた.
ある人の勧めで,金木犀の苗木を植える事にした.
毎年秋になると,きっと今日の事を思い出せるだろう.
この木だけは,絶対に枯らしてはいけないと,肝に銘じた.
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と,ここまでが,うにちゃんの物語である.
ここで終わる筈だった.
なのにその二週間後から,異変は起き始めた.
あまりにも突然すぎて,写真は一枚もない.
以下,覚えている限りで,時系列で書いてみる.

オズ君(2018/07/31 – 2021/11/14)の物語

11/10
食欲旺盛,普通にチュールも食べる.夜,一緒に寝ると普段以上に体が熱い.そして一晩中トイレに居座った.
今だからこそ,これがはじまりだったのだと解る.この時はまったく問題に気付かず,また発情期だと思った.

11/11
カリカリを食べたばかりでゲロした.その後も水ゲロ.水が殆ど飲めなくなった.
なにかウイルスにでも感染したのだろうか?

11/12
水は指から少しずつ舐める.なんと,水のお風呂に飛び込もうとして,慌てて止めた.
足が濡れるのに,水が残る風呂桶の底でじっと座り続けた.
夜は一緒に寝てもすぐに出てウロウロする.相変わらず寒い所に行こうとする.すでに体温が相当低いのに.

11/13
トイレ,ゲロが収まった様だ.朝,スポイトで少し水が飲めたので,一日様子を見る事にした.
しかし夜,小刻みに震え出す.低血糖症?チュールをお湯で溶かしてスポイトで与えると少しずつ飲めた.が,半分は吐き戻した.
そして,あのオズ君が,足腰が立たくなった.まるで末期のうにちゃんそっくりである.

11/14
朝,少しチュールを食べたが,やはり戻す.
午前中に緊急入院した.

待合室で待つ間,キャットキャリーの中で仰向けに引っくり返って起き上がれず,目も殆ど開かない筈なのに,オズ君と最後に交わした視線が忘れられない.
ずっとオズ君と一緒だったが,あんな表情は一度も見たことがなかった.
それは,微笑んでいる様に見えた.清らかで,全ての罪を許していた.パパ大好きだニャ!好きで好きでたまらないニャ!と言っていた.
三年も生きて,おなかいっぱいで,幸せだったニャ!と言っていた.
いま全てのオズ君の写真を探してみたが,そのものズバリな表情とゆうものがない.
これ(2018年の撮影)が一番近いかなと思う.これに,もっと愛情を込めた感じだろうか.
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ひっくり返った感じはこんな感じだった(2019年撮影).
起き上がってパパのおでこをザリュッ!ザリュ!したいニャ!と身じろぎした.
(ザリュッ!ザリュ!: 普通の猫でゆうペロペロ/オズ君は舌の突起が鋭利なうえ,全身全霊でペロペロしてくるのでかなり痛い)
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診察を受けると,おしっこが溜まっていると言われた.ここではじめて,結石である事を知る.
カテーテルと点滴で緊急処置し,レントゲンを撮った.しかし,石の形跡はまったく写っていなかった.
ぼんやりとした影すらなく,本当に結石かどうかは解らない.

最後に撮ったのがこの写真.
この時に手を繋いだが,もはや冷たく反応は全くなく,生きる意思が感じられなかった.
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昼から仕事に出た.
夕日が傾く静かな畑で,ラジオから「ひこうき雲」が流れた.
そして,この時にはじめて,オズ君が逝ってしまう事を私は悟った.

それでも,希望は持っていた.また幸せに,オズ君とこれから先も末永く暮らせる様になると思っていた.
しかし,無情にも,19:00頃に亡くなったとの連絡があった.
ただ無心で,機械のように,バイクで迎えに行った.
20:00頃に帰宅.私の母親も号泣しながら,かわいそうにかわいそうにと,キャットキャリーをいつまでも揺さぶった.
帰ってきたばかりのオズ君は,まだ暖かかった.
いつもの抱っこと,なに一つ違わない様に感じた.
二度とオズ君が目覚めないのだとは,到底信じられなかった.
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11/15
実感が湧いてきて,泣き明かす.
一日も欠かさずオズ君と一緒に寝ていた自分のベッドでは,オズ君が居て温かいはずの場所が冷たくて,とても寝られるものではなかった.
掃除して,ママさんとみんなが居た一番幸せだった日の状態に部屋をセットした(普段はここに布団は敷いていない).
あの頃は幸せだったな…と,天井を見上げながら思った.部屋の空虚がのしかかった.
涙が溢れた.
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そして,気持ちの整理の為に,この文書を書きはじめた.

本当の死因

結石がレントゲンに映らずとも,尿道とゆうものは詰まるらしい.しかし映らない以上,それは原因だと証明出来ない.
医者は原因不明でも説明しなければならないので,それは説明できない尿管閉塞に対する,後付けの理由である様な印象を受けた.
詰まっていない以上,排出されるのが道理なので,尿が出ないのはむしろ生理的な要因かも知れない.
また,白猫とゆうものは本来用心深く,心を許さない性格の子が多いらしいが,オズ君はまったくの逆で,誰にでもフレンドリーだった.
疑うことを知らない一途な性格は生まれ持ったもので,耳が聞こえないのと同様に,特別な遺伝子を持っていたのは間違いない.
恐らくその遺伝子は,腎機能が特別に弱かったのかも知れない.
また猫は,本能的に弱みを隠そうとする性質がある.特に飼い主には,体調が悪い事などを知られたくない様だ.
オズ君の場合は,少しダルいけど平気だニャ!と,飽くまで前向きに思い続けたかも知れない.

もし先の話の中で示した様な,病院に対する嫌な経験が多数なければ,そしてもし私に結石や急性腎障害の知識があれば,すぐに病院に駆けつけていたかも知れない.
とゆうより,急性腎障害を実体験として知っている人でないと,気付く事は不可能に思われる.つい二週間前にうにちゃんの症状を見ていたにも関わらず,手遅れになるまで私は気付かなかった!

オズ君は子供の頃の競争のせいであの食欲を身につけていた為,うにちゃんのいわしを無心に食べ続けた.
幾ら若いとはいえ,それは人間で言えばハンバーガーを食べ続ける様なものだったかも知れない.
しかし,一途なオズ君には,ハンバーガーが悪いものだとゆう知識がなかった.
もしオズ君にあそこまでの旺盛な食欲がなければ,もしくはうにちゃんが,例えば十三歳とかで亡くなっていれば,日々の食事はドライフードだけにしていた筈で,長生き出来たかも知れない.

もちろん私は,いわしの缶詰に含まれるカルシウムの摂り過ぎが猫にとって宜しくない事は知っていた.しかし若いからまだまだ大丈夫だと思っていた.
腎障害は脱水を伴い皮膚の弾力など外見に出るものと思っていた.しかし,オズ君の毛並みは艷やかで皮膚を引っ張ってもすぐに戻った.

うにちゃんが亡くなって,私はいわしを徐々に減らし始めた.
しかし,実際には,すでにオズ君はいわしの栄養素に依存しており,それがないとうまく体調を整えられなかったのかも知れない.
ごはんをくれなくなったと勘違いして心理的に影響を与えたのかもとも考えたが,それはないだろう.オズ君は負の感情を一切持ち合わせておらず,疑う事も恨みも知らなかった.
そもそもドライフードはいつでも幾らでも食べられる状態だし,実際に食べていた.しかし,うにちゃんが亡くなった事により,摂取出来る栄養素のバランスが変わった事だけは確かである.

神様や運命などはあまり信じるほうではないが,偶然と考えるには,あまりにも説明がつかない事が多すぎた.
それはオズ君が我が家に来た時も同様で,偶然と考えるには,あまりにも些細な要因が幾つも重なりあって出会う事が出来た.
そして,来たその時から,この子は特別な使命を持っているとゆう事は,薄々気付いていた.
実のところ当時の私は,外で遊ぶ子供のオズ君の写真に「天使みたいな子」とゆう言葉を添えて投稿している.

オズ君の使命とは何だったのか?

簡単に思いつく限りのオズ君が果たした役割は,

  • うにちゃんの守り役,見届け役だった.
    うにちゃんが食べられない時は決まってオズ君がお皿をピカピカになるまで平らげてくれた.
    何故こうも時期が重なったのだろう?うにちゃんを守って,役割を果たしたから逝ってしまったのだろうか?
  • 今までニ階暮らしだったうにちゃんとりんちゃんが,毎日階下の食卓に降りて行くきっかけを作った.
    みんなで食事するのは楽しかった.  
    そしてペットに縁のないうちの両親にも心を開かせ,家中を笑顔にした.
  • りんちゃんをお兄ちゃんにしてくれた.
    弟が出来てはじめて,りんちゃんは一気に大人の性格になった.
  • 私とママさんの仲を円満に保ってくれた.
    オズ君の話題が出ない日など,一日たりともなかった.
  • 私にこの文書を書かせた.
    実はうにちゃんの時にこれを書こうとしたのだが,いまいち説得力を持たせる自信がなく,断念した.
    オズ君が亡くならなければ,この文書自体が存在しないのだ.
    そして,これを読んでいる,猫を亡くしたあなたをインターネットの伝説「虹の橋」に導く事もなかっただろう.
  • このサイトを作った.
    ozy.be はオズ君に因む.このサイトさえ,オズ君が作った様なものである.

ある人は「何年生きたか」ではなく「どう生きたか」だと言った.
ママさんは「亡くなる事がオズ君の使命だったかも知れない」と言った.

確かにそのとおりだ.
出会ったあの時,野良のまま放置していたら,三年も生きていなかったかも知れない.

うにちゃんの場合は,十分長生きしたし,段階的に準備をしていて,心の準備が出来ていた.それでもそれなりにショックではあった.
そのうにちゃんを亡くした矢先に,これから先ずっと一緒だと思っていたのに,全くなんの心の準備も出来ていないまま,オズ君は突然逝ってしまった.
たった三年で死なせてしまったとゆう事実が,本当に受け入れ難かった.
私はむせび泣きながら,何度もオズ君に話しかけた「なんで死んだんよ?」何度も何度も.
ママさんは言った.「その言い方だとオズ君を責める事になる.オズ君も死にたくて死んだんちゃうで」

最初は私は「たった三年しか」だと思っていた.けれどそれは,私の主観に過ぎないのだ.
遅いか早いかだけの違いで,いつかは誰でも亡くなる.
幸せでさえあれば,それは長くても短くても関係ないのかも知れない.2017年の映画「メッセンジャー」でもその事を言っている.
実際に,うにちゃんとの十七年は,幸せ過ぎて殆ど記憶に残っていないのだ.それは玉手箱の様なものだ.

野良猫だったオズ君には,そもそも猫が十七年も生きられるとゆう知識がなかった筈である.
何事にでも全力で,突っ走る様な性格だったオズ君の,最後のあの満足げで健気な微笑みは「三年も生きられて幸せだったにゃ.お腹いっぱいだったにゃ.パパさん大好き!」と心から言っている様に見えた.
十七年と三年に,価値の違いはない.どちらも等しく幸せであったのだ.

お通夜とお葬式

うにちゃんが使った籠に入れてみたが,オズ君は大きくて窮屈そうだった.
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より大きいものに変えて,大好きだったフードをありったけ供えた.
食べ過ぎを自制出来るりんちゃんと違って,オズ君にはそれが出来なかった.
あらゆる面で「幸せ」に貪欲で,そこが最大のチャームポイントでもあった.
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オズ君は柿の木の元に埋葬する事にした.
うにちゃんを埋葬したビワの木と同じ日に撒いた種で,柿八年と言うが,十年近く経った今でも全然実が成らない.
しかし,近い将来実をつける事になるだろうと私は確信している.
私の母親もオズ君の事は大好きだったので,埋葬を手伝ってくれた.
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最後のお別れ.
ママさんに買ってもらった大好きだったCIAOちゅ縲怩ヤを持たせてあげた.
虹の橋についたら,パパが行くまで転がして遊んでいられる様に.
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私の母親が,オズ君の周りに花を買ってきて植えるらしい.
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そして,寂しさに耐えきれず,三年前にオズ君を拾った場所に来てしまった.
まさにこの場所で,私はオズ君と出会ったのだった.
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その時,再び奇跡が起こった.
なんと,二匹の真っ白い猫が飛び出し,この家(猫好きが住んでいる事が判明していて,オズ君の母親にごはんをあげてくれていた)の塀を飛び越えて行ったのだった.
私は確信した.あの日,オズ君の母親が口に咥えて運んでいたオズ君の兄弟に違いない!!

兄弟が生きていると解った瞬間,私はどれだけ救われたか.

どうしても挨拶がしたくて,その家のチャイムを押した.
グズグズと泣きながら,三年前の出来事からはじめ,最近オズ君が亡くなり,たった今埋葬した事などを,支離滅裂になりながら説明した.

そしてその家の人から,三匹生き残っている事を聞かされた.
正式に飼っている訳ではなく,野良猫なので保護してお迎えしても良いと言ってもらえた.

翌日.
オズ君の兄弟へのお土産として,大量のネコ缶とレトルトパウチを持って,その家を訪れた.
見ると,二匹の猫がすぐ近くにいた.
よくよく近くで観察してみると,一匹は耳と手足と尻尾の先端に茶色が入っていて,シャムの様な血統だった.
うまく写真は撮れなかったが,それがこの子.
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もう一匹は,真っ白ではあるが,目が黄色で,耳も聞こえている様だった.
そして警戒心が強く,オズ君とは似ても似つかない性格である事が解った.
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もう一匹居るらしいのだが,たまにしか姿を見せないという.

この家の主人から,詳しい話を聞いた.
シャムの様な子はメスで,子供をしょっちゅう産んでいるが,どこで亡くしているのか,育たない様である.
真っ白で目が黄色の子は,触らせてすらくれないらしい.
要するにいま居る子達は,なんらかの血縁関係はあると思われるが,オズ君の兄弟そのものではないらしい事が解った.

ただこの主人は,数年前に何代か続いた,青い目の血統の事は覚えていた.
その子達は人懐っこく,触らせてくれたのだという.間違いなくオズ君の兄弟達である.
しかしある時,カラスの群れがやってきて騒いだ時からパッタリと見なくなり,以後,青い目の子は現れていないらしい.

やはり,偶然出現した特別な血統であった事が想像出来る.
また,あの時保護していなければ,やはり生き残れなかったであろう事も,間違ってはいなかった.

全てが鮮明となったいま,残念に思わなかったと言えば嘘になるが,しかし失望はしなかった.
オズ君にとっての三年は,短かった訳ではない事も,はっきりと証明された.

この二匹にごはんをあげながら主人としばし談話し,シャムの子に「子供産まれたらひとりお迎えさせてニャ」と言い残して,その場を去った.
また近いうちに,様子を見に行く予定である.

虹の橋

インターネットの伝説: 虹の橋

この世を去ったペットたちは
天国の手前の緑の草原に行く
食べ物も水も用意された暖かい場所で
老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る
しかしたった一つ気がかりなのが
残してきた大好きな飼い主のことである
一匹のペットの目に,草原に向かってくる人影が映る
懐かしいその姿を認めるなり,そのペットは喜びにうち震え
仲間から離れて全力で駆けていき,その人に飛びついて顔中にキスをする
死んでしまった飼い主=あなたは,こうしてペットと再会し,一緒に虹の橋を渡っていく

私の宇宙観

私が各方面から得た知識を組み合わせて,独自に考えている世界観がある.
思うに,時間の経過とは,脳の活動によって認識されている,ひとつの線上に表現可能な現象に過ぎない.
死とは,時間を認識する機能が停止する事だ.つまり,時間が止まると言い換えても良い.
宇宙から時間とゆう次元を抜き出したのなら,停止した空間とその時の状態を表す現象だけが残る.一枚の絵の様なものだ.
そして時間は無限に分割可能なので,停止した状態の並行宇宙が無限に重なり合う事になる.
それらは,生きていた時の観測「我思う故に我あり」の理屈により,宇宙のどこかに実在する事は間違いない.数多ある「死後の世界」論の中で,唯一実在が証明可能な宇宙観である.
つまり死とは,時間経過の観測機能の停止なのだから,無限に重なり合う過去の全ての瞬間に還ってゆくとゆう事に他ならない.時間がなければ過去も未来もない.
ただ,それらの全ての瞬間は,時間が流れないのだから,確定的で変更不可能である.悲しみも喜びも変更は利かない.
だからこそ我々は,一分一秒を大切に,負の感情にとらわれる事なく,幸福であろうとする努力を怠ってはならない.
死ぬことにより我々は,幸福だったあの瞬間に還る事が出来るのだ.
悲しんではならない.それは,時が止まってしまえば,永久に続く一つの宇宙として確定してしまうのだ.


以上が,ある天使が私にくれた「十七歳と三歳と私の物語」である.
彼の本当の名前は解らない.私達が勝手に「オズ君」と呼んでいただけの事である.
きっと猫の天国では,さぞかし名のある天使だったに違いない.

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あなたにも心の安らぎが訪れますように.
救われるべきあなたの元に,この文書が届くであろう事を,私はほんの少しも疑っていない.
この文書の誕生自体が,数々の奇跡が重なり合って導かれたものなのだから.

(2021/11/18: 小津雪ヲ記す)

写真集/サイドストーリー

書いた人

me 小津雪ヲ: 生きるとゆう事は,雑多な問題に対処するとゆう事.
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