オズ君(2018/07/31 – 2021/11/14)の物語
11/10
食欲旺盛,普通にチュールも食べる.夜,一緒に寝ると普段以上に体が熱い.そして一晩中トイレに居座った.
今だからこそ,これがはじまりだったのだと解る.この時はまったく問題に気付かず,また発情期だと思った.
11/11
カリカリを食べたばかりでゲロした.その後も水ゲロ.水が殆ど飲めなくなった.
なにかウイルスにでも感染したのだろうか?
11/12
水は指から少しずつ舐める.なんと,水のお風呂に飛び込もうとして,慌てて止めた.
足が濡れるのに,水が残る風呂桶の底でじっと座り続けた.
夜は一緒に寝てもすぐに出てウロウロする.相変わらず寒い所に行こうとする.すでに体温が相当低いのに.
11/13
トイレ,ゲロが収まった様だ.朝,スポイトで少し水が飲めたので,一日様子を見る事にした.
しかし夜,小刻みに震え出す.低血糖症?チュールをお湯で溶かしてスポイトで与えると少しずつ飲めた.が,半分は吐き戻した.
そして,あのオズ君が,足腰が立たくなった.まるで末期のうにちゃんそっくりである.
11/14
朝,少しチュールを食べたが,やはり戻す.
午前中に緊急入院した.
待合室で待つ間,キャットキャリーの中で仰向けに引っくり返って起き上がれず,目も殆ど開かない筈なのに,オズ君と最後に交わした視線が忘れられない.
ずっとオズ君と一緒だったが,あんな表情は一度も見たことがなかった.
それは,微笑んでいる様に見えた.清らかで,全ての罪を許していた.パパ大好きだニャ!好きで好きでたまらないニャ!と言っていた.
三年も生きて,おなかいっぱいで,幸せだったニャ!と言っていた.
いま全てのオズ君の写真を探してみたが,そのものズバリな表情とゆうものがない.
これ(2018年の撮影)が一番近いかなと思う.これに,もっと愛情を込めた感じだろうか.
ひっくり返った感じはこんな感じだった(2019年撮影).
起き上がってパパのおでこをザリュッ!ザリュ!したいニャ!と身じろぎした.
(ザリュッ!ザリュ!: 普通の猫でゆうペロペロ/オズ君は舌の突起が鋭利なうえ,全身全霊でペロペロしてくるのでかなり痛い)
診察を受けると,おしっこが溜まっていると言われた.ここではじめて,結石である事を知る.
カテーテルと点滴で緊急処置し,レントゲンを撮った.しかし,石の形跡はまったく写っていなかった.
ぼんやりとした影すらなく,本当に結石かどうかは解らない.
最後に撮ったのがこの写真.
この時に手を繋いだが,もはや冷たく反応は全くなく,生きる意思が感じられなかった.
昼から仕事に出た.
夕日が傾く静かな畑で,ラジオから「ひこうき雲」が流れた.
そして,この時にはじめて,オズ君が逝ってしまう事を私は悟った.
それでも,希望は持っていた.また幸せに,オズ君とこれから先も末永く暮らせる様になると思っていた.
しかし,無情にも,19:00頃に亡くなったとの連絡があった.
ただ無心で,機械のように,バイクで迎えに行った.
20:00頃に帰宅.私の母親も号泣しながら,かわいそうにかわいそうにと,キャットキャリーをいつまでも揺さぶった.
帰ってきたばかりのオズ君は,まだ暖かかった.
いつもの抱っこと,なに一つ違わない様に感じた.
二度とオズ君が目覚めないのだとは,到底信じられなかった.
11/15
実感が湧いてきて,泣き明かす.
一日も欠かさずオズ君と一緒に寝ていた自分のベッドでは,オズ君が居て温かいはずの場所が冷たくて,とても寝られるものではなかった.
掃除して,ママさんとみんなが居た一番幸せだった日の状態に部屋をセットした(普段はここに布団は敷いていない).
あの頃は幸せだったな…と,天井を見上げながら思った.部屋の空虚がのしかかった.
涙が溢れた.
そして,気持ちの整理の為に,この文書を書きはじめた.
本当の死因
結石がレントゲンに映らずとも,尿道とゆうものは詰まるらしい.しかし映らない以上,それは原因だと証明出来ない.
医者は原因不明でも説明しなければならないので,それは説明できない尿管閉塞に対する,後付けの理由である様な印象を受けた.
詰まっていない以上,排出されるのが道理なので,尿が出ないのはむしろ生理的な要因かも知れない.
また,白猫とゆうものは本来用心深く,心を許さない性格の子が多いらしいが,オズ君はまったくの逆で,誰にでもフレンドリーだった.
疑うことを知らない一途な性格は生まれ持ったもので,耳が聞こえないのと同様に,特別な遺伝子を持っていたのは間違いない.
恐らくその遺伝子は,腎機能が特別に弱かったのかも知れない.
また猫は,本能的に弱みを隠そうとする性質がある.特に飼い主には,体調が悪い事などを知られたくない様だ.
オズ君の場合は,少しダルいけど平気だニャ!と,飽くまで前向きに思い続けたかも知れない.
もし先の話の中で示した様な,病院に対する嫌な経験が多数なければ,そしてもし私に結石や急性腎障害の知識があれば,すぐに病院に駆けつけていたかも知れない.
とゆうより,急性腎障害を実体験として知っている人でないと,気付く事は不可能に思われる.つい二週間前にうにちゃんの症状を見ていたにも関わらず,手遅れになるまで私は気付かなかった!
オズ君は子供の頃の競争のせいであの食欲を身につけていた為,うにちゃんのいわしを無心に食べ続けた.
幾ら若いとはいえ,それは人間で言えばハンバーガーを食べ続ける様なものだったかも知れない.
しかし,一途なオズ君には,ハンバーガーが悪いものだとゆう知識がなかった.
もしオズ君にあそこまでの旺盛な食欲がなければ,もしくはうにちゃんが,例えば十三歳とかで亡くなっていれば,日々の食事はドライフードだけにしていた筈で,長生き出来たかも知れない.
もちろん私は,いわしの缶詰に含まれるカルシウムの摂り過ぎが猫にとって宜しくない事は知っていた.しかし若いからまだまだ大丈夫だと思っていた.
腎障害は脱水を伴い皮膚の弾力など外見に出るものと思っていた.しかし,オズ君の毛並みは艷やかで皮膚を引っ張ってもすぐに戻った.
うにちゃんが亡くなって,私はいわしを徐々に減らし始めた.
しかし,実際には,すでにオズ君はいわしの栄養素に依存しており,それがないとうまく体調を整えられなかったのかも知れない.
ごはんをくれなくなったと勘違いして心理的に影響を与えたのかもとも考えたが,それはないだろう.オズ君は負の感情を一切持ち合わせておらず,疑う事も恨みも知らなかった.
そもそもドライフードはいつでも幾らでも食べられる状態だし,実際に食べていた.しかし,うにちゃんが亡くなった事により,摂取出来る栄養素のバランスが変わった事だけは確かである.
神様や運命などはあまり信じるほうではないが,偶然と考えるには,あまりにも説明がつかない事が多すぎた.
それはオズ君が我が家に来た時も同様で,偶然と考えるには,あまりにも些細な要因が幾つも重なりあって出会う事が出来た.
そして,来たその時から,この子は特別な使命を持っているとゆう事は,薄々気付いていた.
実のところ当時の私は,外で遊ぶ子供のオズ君の写真に「天使みたいな子」とゆう言葉を添えて投稿している.
オズ君の使命とは何だったのか?
簡単に思いつく限りのオズ君が果たした役割は,
- うにちゃんの守り役,見届け役だった.
うにちゃんが食べられない時は決まってオズ君がお皿をピカピカになるまで平らげてくれた.
何故こうも時期が重なったのだろう?うにちゃんを守って,役割を果たしたから逝ってしまったのだろうか? - 今までニ階暮らしだったうにちゃんとりんちゃんが,毎日階下の食卓に降りて行くきっかけを作った.
みんなで食事するのは楽しかった.
そしてペットに縁のないうちの両親にも心を開かせ,家中を笑顔にした. - りんちゃんをお兄ちゃんにしてくれた.
弟が出来てはじめて,りんちゃんは一気に大人の性格になった. - 私とママさんの仲を円満に保ってくれた.
オズ君の話題が出ない日など,一日たりともなかった. - 私にこの文書を書かせた.
実はうにちゃんの時にこれを書こうとしたのだが,いまいち説得力を持たせる自信がなく,断念した.
オズ君が亡くならなければ,この文書自体が存在しないのだ.
そして,これを読んでいる,猫を亡くしたあなたをインターネットの伝説「虹の橋」に導く事もなかっただろう. - このサイトを作った.
ozy.be はオズ君に因む.このサイトさえ,オズ君が作った様なものである.
ある人は「何年生きたか」ではなく「どう生きたか」だと言った.
ママさんは「亡くなる事がオズ君の使命だったかも知れない」と言った.
確かにそのとおりだ.
出会ったあの時,野良のまま放置していたら,三年も生きていなかったかも知れない.
うにちゃんの場合は,十分長生きしたし,段階的に準備をしていて,心の準備が出来ていた.それでもそれなりにショックではあった.
そのうにちゃんを亡くした矢先に,これから先ずっと一緒だと思っていたのに,全くなんの心の準備も出来ていないまま,オズ君は突然逝ってしまった.
たった三年で死なせてしまったとゆう事実が,本当に受け入れ難かった.
私はむせび泣きながら,何度もオズ君に話しかけた「なんで死んだんよ?」何度も何度も.
ママさんは言った.「その言い方だとオズ君を責める事になる.オズ君も死にたくて死んだんちゃうで」
最初は私は「たった三年しか」だと思っていた.けれどそれは,私の主観に過ぎないのだ.
遅いか早いかだけの違いで,いつかは誰でも亡くなる.
幸せでさえあれば,それは長くても短くても関係ないのかも知れない.2017年の映画「メッセンジャー」でもその事を言っている.
実際に,うにちゃんとの十七年は,幸せ過ぎて殆ど記憶に残っていないのだ.それは玉手箱の様なものだ.
野良猫だったオズ君には,そもそも猫が十七年も生きられるとゆう知識がなかった筈である.
何事にでも全力で,突っ走る様な性格だったオズ君の,最後のあの満足げで健気な微笑みは「三年も生きられて幸せだったにゃ.お腹いっぱいだったにゃ.パパさん大好き!」と心から言っている様に見えた.
十七年と三年に,価値の違いはない.どちらも等しく幸せであったのだ.
お通夜とお葬式
うにちゃんが使った籠に入れてみたが,オズ君は大きくて窮屈そうだった.
より大きいものに変えて,大好きだったフードをありったけ供えた.
食べ過ぎを自制出来るりんちゃんと違って,オズ君にはそれが出来なかった.
あらゆる面で「幸せ」に貪欲で,そこが最大のチャームポイントでもあった.
オズ君は柿の木の元に埋葬する事にした.
うにちゃんを埋葬したビワの木と同じ日に撒いた種で,柿八年と言うが,十年近く経った今でも全然実が成らない.
しかし,近い将来実をつける事になるだろうと私は確信している.
私の母親もオズ君の事は大好きだったので,埋葬を手伝ってくれた.
最後のお別れ.
ママさんに買ってもらった大好きだったCIAOちゅーぶを持たせてあげた.
虹の橋についたら,パパが行くまで転がして遊んでいられる様に.
そして,寂しさに耐えきれず,三年前にオズ君を拾った場所に来てしまった.
まさにこの場所で,私はオズ君と出会ったのだった.
その時,再び奇跡が起こった.
なんと,二匹の真っ白い猫が飛び出し,この家(猫好きが住んでいる事が判明していて,オズ君の母親にごはんをあげてくれていた)の塀を飛び越えて行ったのだった.
私は確信した.あの日,オズ君の母親が口に咥えて運んでいたオズ君の兄弟に違いない!!
兄弟が生きていると解った瞬間,私はどれだけ救われたか.
どうしても挨拶がしたくて,その家のチャイムを押した.
グズグズと泣きながら,三年前の出来事からはじめ,最近オズ君が亡くなり,たった今埋葬した事などを,支離滅裂になりながら説明した.
そしてその家の人から,三匹生き残っている事を聞かされた.
正式に飼っている訳ではなく,野良猫なので保護してお迎えしても良いと言ってもらえた.
翌日.
オズ君の兄弟へのお土産として,大量のネコ缶とレトルトパウチを持って,その家を訪れた.
見ると,二匹の猫がすぐ近くにいた.
よくよく近くで観察してみると,一匹は耳と手足と尻尾の先端に茶色が入っていて,シャムの様な血統だった.
うまく写真は撮れなかったが,それがこの子.
もう一匹は,真っ白ではあるが,目が黄色で,耳も聞こえている様だった.
そして警戒心が強く,オズ君とは似ても似つかない性格である事が解った.
もう一匹居るらしいのだが,たまにしか姿を見せないという.
この家の主人から,詳しい話を聞いた.
シャムの様な子はメスで,子供をしょっちゅう産んでいるが,どこで亡くしているのか,育たない様である.
真っ白で目が黄色の子は,触らせてすらくれないらしい.
要するにいま居る子達は,なんらかの血縁関係はあると思われるが,オズ君の兄弟そのものではないらしい事が解った.
ただこの主人は,数年前に何代か続いた,青い目の血統の事は覚えていた.
その子達は人懐っこく,触らせてくれたのだという.間違いなくオズ君の兄弟達である.
しかしある時,カラスの群れがやってきて騒いだ時からパッタリと見なくなり,以後,青い目の子は現れていないらしい.
やはり,偶然出現した特別な血統であった事が想像出来る.
また,あの時保護していなければ,やはり生き残れなかったであろう事も,間違ってはいなかった.
全てが鮮明となったいま,残念に思わなかったと言えば嘘になるが,しかし失望はしなかった.
オズ君にとっての三年は,短かった訳ではない事も,はっきりと証明された.
この二匹にごはんをあげながら主人としばし談話し,シャムの子に「子供産まれたらひとりお迎えさせてニャ」と言い残して,その場を去った.
また近いうちに,様子を見に行く予定である.
虹の橋
インターネットの伝説: 虹の橋
この世を去ったペットたちは
天国の手前の緑の草原に行く
食べ物も水も用意された暖かい場所で
老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る
しかしたった一つ気がかりなのが
残してきた大好きな飼い主のことである
一匹のペットの目に,草原に向かってくる人影が映る
懐かしいその姿を認めるなり,そのペットは喜びにうち震え
仲間から離れて全力で駆けていき,その人に飛びついて顔中にキスをする
死んでしまった飼い主=あなたは,こうしてペットと再会し,一緒に虹の橋を渡っていく
私の宇宙観
私が各方面から得た知識を組み合わせて,独自に考えている世界観がある.
思うに,時間の経過とは,脳の活動によって認識されている,ひとつの線上に表現可能な現象に過ぎない.
死とは,時間を認識する機能が停止する事だ.つまり,時間が止まると言い換えても良い.
宇宙から時間とゆう次元を抜き出したのなら,停止した空間とその時の状態を表す現象だけが残る.一枚の絵の様なものだ.
そして時間は無限に分割可能なので,停止した状態の並行宇宙が無限に重なり合う事になる.
それらは,生きていた時の観測「我思う故に我あり」の理屈により,宇宙のどこかに実在する事は間違いない.数多ある「死後の世界」論の中で,唯一実在が証明可能な宇宙観である.
つまり死とは,時間経過の観測機能の停止なのだから,無限に重なり合う過去の全ての瞬間に還ってゆくとゆう事に他ならない.時間がなければ過去も未来もない.
ただ,それらの全ての瞬間は,時間が流れないのだから,確定的で変更不可能である.悲しみも喜びも変更は利かない.
だからこそ我々は,一分一秒を大切に,負の感情にとらわれる事なく,幸福であろうとする努力を怠ってはならない.
死ぬことにより我々は,幸福だったあの瞬間に還る事が出来るのだ.
悲しんではならない.それは,時が止まってしまえば,永久に続く一つの宇宙として確定してしまうのだ.
以上が,ある天使が私にくれた「十七歳と三歳と私の物語」である.
彼の本当の名前は解らない.私達が勝手に「オズ君」と呼んでいただけの事である.
きっと猫の天国では,さぞかし名のある天使だったに違いない.
あなたにも心の安らぎが訪れますように.
救われるべきあなたの元に,この文書が届くであろう事を,私はほんの少しも疑っていない.
この文書の誕生自体が,数々の奇跡が重なり合って導かれたものなのだから.
(2021/11/18: 小津雪ヲ記す)