(ペットロスト)最愛の猫を亡くしたあなたへ「虹の橋の使者」十七歳と三歳と私の場合

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もう少しで,轢き殺す所だった.
真夏の灼熱のアスファルトの上をヨチヨチ歩くその子を,こんな感じで地面から掬い上げたのが,のちのオズ君だったのである!!
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ただ,私はその時かなり躊躇した.
見ると,母親の猫が近くにおり,別の子を咥えてある家の塀を飛び越えるところだった.オズ君はひとりでその母親を追って,灼熱の車道にヨチヨチ飛び出してしまった所だった.
その家は,以前からネコ缶を置いている事に私は気付いていて,猫好きが住んでいる事は間違いない.
だからこそオズ君の母親もそこに出入りしていた訳で.
しかしその母親は,恐らく我が子を守るために野生動物とでも戦ったのであろう,しっぽが千切れて丸く肥大する大怪我を負っており,そんな状態で何匹も育てられるのかと思案した.

もしこのまま放置すれば,この子は長く生きる事は恐らく出来ないだろう.しかし,母親の側でそれはそれで幸せな人生を送るだろう.
母親にとっても,子孫を残すとゆう野生の観点からすれば,人間に我が子を取られるとゆうのは,死んだのと同じ事であり,人間の元で長生きする事に意味はないだろう.

どちらが良い事であるかは,その時点では判断する事は出来なかった.
しかし,保護するとゆう決断を下した大きな理由がある.
それは,ママさんが以前から猫を飼いたいと言っており,ママさんの誕生日が近かった事である.

いま,これを書きながらはっきりと断言出来る事は,拾って正解だったとゆう事である.
拾わなければ,こんなとてつもない深い悲しみに暮れる思いをする事もなかったが,その何倍も,何倍も何倍も何倍も,喜びを与えてくれた!

そんな訳で,釣りベストのポケットに余裕で入る小さなその子は我が家にやってきた.
いきなりカマスのお寿司をもりもり食べた.
オズ君の大好物が魚になってしまったのがこのせいだとすれば,これも早死の分岐点かも知れない.
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何事かと匂いを嗅ぎに来るうにちゃん.「また変なの拾ってきたニャ?」
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ニーニー.もっとー.
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ヨチヨチ.
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ノミが200匹は寄生していた.
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いきなりお外は眩しいニャ.
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バイクの上に乗せられたオズ君.
仕事場のダンボールから飛び降りる訓練をしたっけ.
ジャンプの仕方を教えるのが途方もなく楽しく,幸せだった.
うまく出来た時は「上手に出来たニャー!」とベタ褒めした.
時には勢い余って,飛び降りてそのまま前転してしまったりもした.
小さいのに,本当に上手だったよ.いま,もう一度,傍らのオズ君の亡骸に褒めながら,なんと立派に育った事かと思う.
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ネコ缶も,パパが釣ってきた魚も,モリモリ食べた.
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日に日にどんどん大きく,綺麗になっていった.
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脱走を除いて,正式に外で遊んだのは二日だけである.
まだ室内には入れず,仕事場にケージを置いていたので外で遊ぶ事が出来た.
そして耳が聞こえない事が判明したのも,仕事場に置いていたからこそだった.
私がバイクで騒音を立てながら帰ってきても,全く起きる事もなく寝ていて,ケージを開けて撫で撫でしてはじめて飛び起きて大喜びするのだった.

この子が天使じゃないとゆうのなら何なのか?
そして何故三才で死ななければならなかったのか?
ただただ,涙が溢れてならない….
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いきなり猛ダッシュで走り出し,車道にも飛び出そうとするので,二回目はリードをつけた.
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しかし,まだ力が弱く,リードが枯れ草に絡まって,自由には歩き回れなかった.
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パパにはかなわないニャ.
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ガジガジが大好きだった.
大好きすぎて自分から大半の門死を抜いてしまう事になるのだが,ウイルスで痒かったのかも知れない.
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パパの手のひらの上で,何時間もでんぐり返しや高い高いをされた日.
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私の父親と弟が釣りの話をしていて,私もそれに時折加わりながら,オズ君と夢中で遊んだ.
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パパ大好きだニャ!
宝石の様な日だった.
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ノミ取りも終わって部屋にあげてもらって,三人の生活が始まった.
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パパとべったりである.
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しかし,恐らくはオズ君が持ち込んだであろうウイルスで,りんちゃんもうにちゃんも瀕死の病気になり,一週間ほど苦しむ事になる.
うにちゃんはいよいよ本格的に体調を崩し,食べられない,グルーミング出来ない症状に陥って病院に行く事になる.
この時からうにちゃんの闘病生活がはじまった.カリカリが食べられず,ウエットオンリーとなった(のちに説明するが,これがオズ君の早死の原因ともなる).
うにちゃん十四歳.
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オズ君は食べ方に特徴があって,恐らくは兄弟猫と器を共有していたのであろうと思われる.
自分の食べる分を,まず手前に盛大にこぼして,他の猫に取られない様に確保するのである.
また,幼少期のこの競争のせいで,食欲が非常に旺盛で,他の猫を押しのけてまで,食べられる時に食べるとゆうクセがある.
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どんどん大きくなっていった.
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弾き語りの足タンバリンに反応してパンチパンチしていた.
もちろん,聞こえていないので,動きが面白かったのだろう.
仏壇にお経をあげてくれてる坊さんの木魚にもパンチパンチしに行って,私の母親を笑わせた事もあった.
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一方,りんちゃんはお外が禁じられてもこのとおり穴を開けて屋根周りの巡回に出かけるのだった.
自分のやるべき事はやる,絶対に主張を譲らないのがりんちゃんである.
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オズ君が凄い勢いでうにちゃんのウエットフードを盗むので,しょうがなくうにちゃんにだけ階下でごはんをあげる様になった.
これは二階に取り残された二人で,まだりんちゃんも階段の使い方を知らない.
そんな猫が居るのかと思うが,本当の話.
そしてりんちゃんは,理由は解らないが,階下の仏間をこの上もなく恐れていた.
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我が家のトイレはこんな感じで,デオトイレに砕けるタイプのチップ.
これだけでは足りなくなり,りんちゃん用にもう一つ専用の箱を追加した.
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実はこれがオズ君の早死の原因となった非常に重要なポイントでもある.
それは,発情期が来たりんちゃんが,所構わずスプレーするので,「ザシュ!ザシュ!(足踏みの音)専用トイレ」を設置し,「ここでシにゃ!」と躾けた事である.
オズ君は頭がよく,来た時からトイレの使い方を知っていた.そしてりんちゃんの「ザシュッ!ザシュッ!」を見ていたので,発情期が来たからトイレに居座る様になったのだと,私が勘違いするのに十分な理由となった.

死ぬしばらく前にもオズ君はトイレを専有した.そして私は「上手に出来たニャー,好きなだけシッシして良いでー」と褒めるばかりだった.
しかし,その後もおしっこは普通以上にしていて,チップは毎日大量に砕けていた.だから放尿に問題があるなどとは夢にも想像出来なかった.

もし私に,去勢済みでも発情しうるとゆう知識がなければ,様子がおかしい事に気付いた筈である.

とは言えそれはまだ先の話しで,この時点ではオズ君はまだ小さい.
作業机を作った日.
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この頃からへんなポーズの追求が始まる.
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りんちゃん通行止め.これでも脱走するので,最終的にはお外巡回を解禁するしかなくなる事になる.
しかし,耳の聞こえないオズ君は当然外に出てはいけないので,これははじめから問題だった.
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差別したくないとゆうのが親心である.
うにちゃんにだけウエットをあげて,他の二人にはドライだけとゆう事が,どうしても出来なかった.これも早死ポイントのひとつ.
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オズ君が凄い勢いで催促するし,うにちゃんの分を奪うので,全員にあげるしかない.
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通行止め解禁.もう諦めて通り放題になった.
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もうすっかり大人のサイズだが,心はまだまだ子猫だった.
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2019年

18年大晦日から19年元旦にかけて.
お菓子やご馳走やお酒と一緒にオズ君も並んで,ママさんのお出迎えの準備をしている.
幸せいっぱい.ママさんまだかニャまだかニャ?
まさかこの水色のバットがオズ君の棺になろうとは….
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2019年の分はこの二枚しか残っていないが,ママさんとみんなが一緒だった最高に幸せだった日々.
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また,この日,ママさんが上がり戸を閉め忘れたせいでオズ君が道路に出てしまい,状況を素早く察知したパパにマッハで捕獲されて事なきを得た.
この時,私はママさんに「この子は長生き出来やんやろうな」と言った事を先程思い出し,ママさんに確認したら,確かに言ったという.
その時は,耳が聞こえないせいで車に轢かれて死ぬかも知れないとゆう意味だったが,長生き出来なかった事だけは,本当に当たっていた.
この日,ママさんもここぞとばかりに,みんなにちゅーるだのササミだのカツオだのをあげまくった.
私の飼育方針として,フードは基本的にドライ派なのだが,これ以後はみな舌が肥えてしまい,ウエットフードを中心にあげ続けざるを得なくなった.
この出来事も非常に大きな早死ポイントの一つと言える.

うにちゃんがはじめてオズ君に心を許し,グルーミングされた日.
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出てはいけない筈のトタン屋根に降りたオズ君.
手作業でりんちゃんだけを出してオズ君を室内に留めるとゆうのは,非常に難しかった.
覚えている限りでは十回近く,オズ君は外に出た.そのうち少なくとも二回は道路まで降りたし,三回は床下に入って,パパに叱られると思ってなかなか出てこなかった.
りんちゃんはおりこうさんなので本気を出せば猫のベランダの戸を開ける事ができ,勝手に開けて帰宅してそのままになっていて,オズ君が出てしまうとゆう事が何回かあった.
その時パパは狂った様にオズ君を探しはじめ,一度などは窓を開けっ放しにしたりんちゃんをきつく叱ったりもした.
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ゴールデンウィーク.ママさんとのツーショット.
最高に幸せだった十日間.
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本当に,人生で一番幸せだったよねオズ君.
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人見知りのりんちゃんもやっと抱っこされた.
通話ではよく耳にイヤホンを突っ込まれて,何度もママさんと話したりはしていた.
私のシンバル内蔵カホンが食卓代わりだったが,小さすぎて不便だった.考えてみればこのカホンにも思い出が詰まっているものだ.
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オズ君は何をしても全力でまっすぐで,遊び始めたら止まらなかった.
ボール遊びなどはいつまでも遊ぶ音がうるさくて,子供の頃にパパに早々に禁止された.
サッカー選手を目指していたが,パパに許して貰えなかったと,ママさんと冗談を言っている.
ママさんに買ってもらった「CIAOちゅーぶ(ちゅーるのぬいぐるみ)」も,いつまでも遊ぶので手の届かない天井にこんな感じにぶら下げていた.
しかし,気がつけばこのチューブが落ちているのである.気のせいかと思って元に戻してもやっぱり落ちている.
パパとママさんが見ていない時に,オズ君がジャンプではたき落として遊んでいたのである.
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そんな日々も夢の様に過ぎ,平常時に戻っていった.
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うにちゃん十五歳.体型もすっかりおばあちゃん.
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仏壇の座布団はオズ君のお気に入りだった.
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この仏壇は私の祖母が買ったもので,私が七歳の時,祖父が亡くなった時に我が家に来た.
元々ここにあった訳ではなく,この部屋は2017年に亡くなるまで祖母の病室だった.恐らくりんちゃんが階下を恐れていた原因はそれだろう.
うにちゃんとは十三歳の頃から二人羽織でよくお参りしたものだ.
最初は「長生き出来ますように」だったのが,十七歳頃には「長生き出来ました.幸せでした」になり,最後の日には「ありがとうございました.にゃむあみだぶにゃむあみだぶ…」になった.
オズ君とは最後の日,一度だけ助けて下さいと,一緒にお参りした.
しかし,私一人でお参りした時は,元々全てを受け入れる覚悟なので「出来れば助けて下さい」みたいな心境だった.これがいけなかったのかも知れない.
そして,いざオズ君が亡くなってみると,全てを受け入れるどころか,なんと心の準備が出来ていなかった事か.
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オズ君の変なポーズのうちのひとつ.
外敵に襲われるなどとは夢にも思った事がない.危害を加える存在が居るなどとは,オズ君には想像も出来ないのだ.
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今思えば,これらは天使の必殺技の決めポーズだったのかも知れない.
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こぐまのあざを書かれた日.
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ラングドシャをラングド社と勘違いしていた私は,オズ君の舌の突起が鋭くて舐められると痛い事を茶化して,オズ君がラングド社の社長だとゆう設定を毎日の通話の中につけ加えた.
そしてラングド社の社員は,全員がこぐまちゃんなのであった.
そんな架空のストーリーが幾つも生まれた.
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いっぽううにちゃん,十五歳.
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この文書を書き始めるまで,昔はうにちゃんのお気に入りの場所がキーボードの前だったとゆう事も忘れていた.
あんなに艷やかで滑らかだった毛皮も,もはやこのとおり,骨ばってパサパサになってしまった.
こんな感じでこの場所に来る事自体も,恐らくはほとんど子供の頃以来だろう.
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2020年

お正月.
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白い事をネタに,通話の中でカレーのごはんにされたりと,何かとイジられてばかりだった.
冗談のバリエーションの追求が,パパとママさんの日課だった.
オズ君自身も,至って真面目ではあるが,笑いのセンスがあって,お風呂マットの下に隠れてボコッ!と膨らんで隠れたつもりになっていたり,自分から洗濯物の袋に入っていて洗濯されようとしてみたり,それ以上白くなってどうするんや!とか突っ込まれたりした.
りんちゃんとプロレスしていて,りんちゃんの鼻の穴にオズ君の爪が引っかかって取れなくなって大騒ぎしたり,ママさんを空港に送って帰ってきたら,三時間前とまったく同じポーズで1ミリも動かずに眠り続けていたりと,笑いを届けてくれた.
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屋根周りを巡回するりんちゃん.
これはりんちゃんに任された重要な仕事のひとつとなった.
そして何度も,夜にセミやバッタや幼虫を捕まえてきては,パパにくれた.
野良猫を追い払う事が何度かあった.逆に,メス猫につられて地上に降りてしまいそうになる事もあった.
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うにちゃん十六歳.
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体重もすっかり減り,いつまで膝に乗せていても重くない.
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この頃になるとうにちゃんの定位置はこのあたりになって,本当に寒い日以外は,一緒に寝てくれなくなっていた.
お別れが近いのでパパを悲しませたくない為だとママさんに説明した.
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腎臓の悪化が進み,日に日に水をよく飲む様になった.
階下のお風呂でも,洗面器に新鮮な水を入れてもらってよく飲んだ.
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おこたでのりんちゃんの定位置は,パパの左の傍らで,これを書いている今現在も,二年近く前のこの写真とまったく変わらずにこの位置で同じポーズで寝ている.
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この炬燵についても書いておかなければならない.
祖母の形見で,寒い日はみんなで潜り込んで団欒をした.
そんな寒い冬の日の団欒は幾度となくあった.その度に,幸せを実感した.
「パパのおばあちゃんがみんなの為に買ってくれてたおこたやでー」とか「快適だニャー」「幸せだニャー」「あったかいニャー」と言いながら,おこたの中でみんなを撫でるのだった.
小さい炬燵に四人(私と猫三匹)も入ればぎゅうぎゅうで,くっつきあっていた.
そしてみんなで団欒した事を,毎日ママさんに通話で報告した.
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春が訪れた.巡回中のりんちゃん.
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うにちゃんは明らかに疲れを隠しきれなくなってきた.
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幸せな日々は続いたが,
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オズ君の病気が徐々に進行しているとは,想像する事も出来なかった.
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こんなにも仲良しで元気いっぱいで,毎日追いかけっこやプロレスをして遊んだ.
その度にパパにやさしく注意された.
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決めポーズの探求にも余念はなかった.
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これは記念すべき,りんちゃんがはじめて階段を降りる事を覚えた日.
嘘のようだが,あんなに屋根周りを巡回するりんちゃんなのに,六歳まで階段の昇り降りが出来なかった!
嫌がるりんちゃんを抱っこし「しっかりパパに掴まってろよ!」と言いながら,りんちゃんにしがみつかれて階段の昇り降りを何度もしてみせた.
階下の仏間に着地させ,怖い場所ではない事を教えた.
オズ君はすでにひとりで昇り降りが出来ていたので,その助けもあってりんちゃんは一階を知る事が出来たのである.
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この夏のうにちゃんの定位置は工具置き場だった.涼しいらしい.
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幾ら体重が減ってしまったとは言え,人間用の体重計では計れないよ,うにちゃん.
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こんな風に寝ていたら,決まってパパに鼻チューをされた.
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暑がりのりんちゃんと違って,夏でもオズ君はパパの匂いのする布団の上が好きだった.
振り返ればいつもそこで,いつまでも寝ていた.
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夏のりんちゃんはこんな感じで寝ている事が多い.
子供の頃はあんなに好きだったのに,もうパパの足を引っ掛ける事は一度もない.
オズ君が来てから,一気にりんちゃんは性格がお兄ちゃんになった.
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りんちゃんも階段を覚え,ひとりでも一階の居間に来れる様になった.
このドアの側でりんちゃんとオズ君が,カメラの位置がうにちゃんとパパが食べる場所になった.
何故こうなったかとゆうと,元々オズ君に取られない様に階下でうにちゃんにだけウエットフードをあげる様にしていたのが,結局はみんながついて来る様になった為.
そしてうにちゃんは,日に日に偏食する様になり,フードを工夫する必要が増してきた.
開けたばかりのネコ缶を食べない時などは,ついつい怒ってしまったりもした.食べたくても食べられないのだとゆう事が,その時は理解出来なかった.後悔のひとつ.
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かなり前から,うにちゃんは歯をやられ,よだれが垂れ流しになり,抗生物質で凌いでいた.
床が汚れるのでパパにタオルを敷いてもらったのだが,それが気に入らず,この場所には居られなくなった.
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2021年

お正月.
釣ってきたエソの骨抜きをするママさんとその肉を食べるりんちゃん.
私のお気に入りの一枚である.この正月もみんなが一緒で幸せな日々だった.
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次のうにちゃんの定位置はここになった.
人間で言えば黄疸?の様なものが出来はじめていて,徐々にお別れが近づいてくる.
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タオルがぐちゃぐちゃになるので,洗濯バサミで固定したのだが,なんとうにちゃんはそれを気に入らず,この場所も捨ててしまう事になる.
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確かこの頃だったと思うが,ある夜の通話のあと,工具室でごはんを食べていたうにちゃんが激しい突然発作を起こし,のたうち回って苦しんだ.
そしてビクンビクンって止まりそうになって,もう死んだと思って,電話を取りに行ったら,その時にまた暴れだして,偶然階段から転がり落ちた.
その時のショックで再び心臓が安定したのだろうか,奇跡的にうにちゃんは助かった.
ママさんに報告しながら,うにちゃんの名前を連呼した.うにちゃんもキョトンとしていて,まだ天国じゃない事を不思議がっていた.
うにちゃんはこの日死んでいる筈だった.この日から,私達は毎日を贈り物だと考える様になった.
そして最後の日まで,いつもどおりの幸せを,いつもどおりに過ごし続ける決意をした.

夏が近づいてくる.一日も欠かさずに屋根の周りを点検するりんちゃん.
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りんちゃんのあまえんぼの時のポーズ.と,このダンボール箱「わしのいわし」
これが,オズ君の死因の一つでもある.
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うにちゃんのフードを工夫しまくった結果,老猫用カルカンパウチといわしと水のミックスが最終仕様となった.
そして,差別は出来ないので,りんちゃんとオズ君にもいわしは毎日与え続けた.
りんちゃんはおりこうさんで,自制する事を知っており,ウエットと言えどむやみに食べ過ぎたりはしないが,オズ君は子供の頃形成された性格のせいで,とどまる事を知らない.
うにちゃんが食べられない時は,決まってオズ君がお皿がピカピカになるまで完食した.
私としては,もちろん体に悪い事は解っているが,うにちゃんはそれしか食べられないのだし,オズ君も若いから平気だと思っていた.

満腹になったら夏はいつもこんな感じに伸びていた.
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かくれんぼが得意なりんちゃん.
この左側の窓が西に面していて「オズ君担当」の窓である.オズ君はこちらを見張る役で,りんちゃんは南と東をパトロールして,家を守っていたのだった.
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今になってやっと気付いた事がある.
オズ君が何時間も見ていた方向は,ほぼ寸分違わず,オズ君を拾った場所の方角だった.
帰巣本能があるから解るのだろう.
距離としては直線で500メートル前後だろうか?しかし四車線道路に阻まれており,耳の聞こえないオズ君が自力で帰れるとは思えない.
残してきた母親や兄弟たちが気になっていたに違いない.
私としてはオズ君が子供の頃「オズ君のお母さんは強いでニャー」とか「オズ君はお母さんにそっくりやニャー」とか「お母さんに会いたいニャー」と言いながら,よしよししてあげたのだった.
もちろん聞こえていなかっただろうが,気持ちは伝わっていたに違いない.だからこそうちに居続けてくれたのだ.

ママさんの誕生日ディナー.
パパの育てた枝豆に,パパの釣ったハマチの姿造り,パパの釣ったアジのあせ寿司,パパの育てたじゃがいもとカボチャ,パパが解体したイノシシの肉.
オズ君もママさんに刺身をいっぱい貰った.
いつもと同じく,釣りや畑に出かけて,みんなはお留守番した.
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十月末.遂にお別れの日がやってくる.うにちゃんが亡くなった日.
しばらく前からトイレがちゃんと出来ず,おむつをしている.
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もはやまともに歩く事も出来ず,食べる事も飲む事も出来ない.階段を登れずに転落したので,移動はパパに運んでもらってした.
仏壇に「ありがとうございました.いま行きます.にゃむあみだぶ…」と,二人で最後のお参りをした.
異変を察知したりんちゃんが家中に砂を撒き始めた.
いつもどおりにおこたで四人で団欒をした.
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最後の日向ぼっこ.りんちゃんと一緒に昔大好きだったベランダに乗せてもらった.
午前中に点滴をしてもらって,なんとか生きている状態.
最後の一日をお金で買った様なものだった.
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うにちゃんを膝に乗せ,ギルドウォーズ2(オンラインゲーム)をしながら「昔はこうやって二人で一緒にゲームしたにゃー」と声をかける.
子供の頃好きだった膝の上で死なせてあげたいが,身じろぎしてそれが出来ないであろう事を知る.
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13時頃,ベッドの上に移動.パパの胸の上にうにちゃん,左にオズ君,右にりんちゃんが寝た.
そしてうにちゃんの耳にイヤホンをはめてあげる.ママさんとの最後の通話をした.
ママさん「うにちゃん,ありがとう」

動けないうにちゃん.最後の場所をここに決める.ここもうにちゃんが好きだった場所.
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うにちゃん,大好きだよ.
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徐々に弱まってゆく命の灯火.スポイトで定期的に口を湿らせてやる.
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「うにちゃん,17年もありがとう.猫の長生きの新記録やで,良かったにゃ!」
「うにちゃん,お目々かわいいにゃ,お耳かわいいにゃ,お鼻かわいいにゃ,うにちゃん全部かわいいにゃ!」子供の頃よくパパに褒められた言葉で励ます.
「うにちゃん,しっぽ綺麗やて先生に褒められたでにゃ,17年経ってもいまも綺麗やでー」
「うにちゃん,先生もおばあちゃんも待っててくれてるで」
「うにちゃん,虹の橋で待っててにゃ.パパもすぐ行くからにゃ」
「うにちゃん,パパのほうずっと見てにゃよ」
「うにちゃん,パパここに居てるで」
「うにちゃん,もうねんねしにゃ,もうお目々閉じて」
「うにちゃん,もう頑張らなくていいで」

そして15:50頃,うにちゃんは死んだ.
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その直後のりんちゃん.
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と,オズ君.
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翌日.
前からしたかった,祖母のクッションの修理をした.
りんちゃんはうにちゃんの,オズ君はチョロちゃんの首輪で正装し,みんなでご馳走を食べた.
そして庭の,ビワの木の元に墓穴を掘った.
夜,ママさんとお経を流してお通夜をし,うにちゃんが子供の頃からの全ての写真の上映会をし,昔話をした.
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うにちゃんに別れのチューをするりんちゃん.
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お葬式.
みんなで普段通りに過ごした.
午前中はPCや草刈り機の修理をし,香炉灰も数年ぶりに清掃した.
そして16時頃に「うにちゃんそろそろお墓行くかー」と出棺.
この靴下はうにちゃんのお気に入りで,パパのお古の靴下やパンツをカミカミしながら,ドライフードを交互に食べるのが好きだった.歯ごたえが良かったのか,とにかくそうした.
きれいに洗って乾かし,持たせてあげた.これ一枚なら,咥えて虹の橋まで運べる筈である.
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夜はみんなでご馳走を食べた.うにちゃんの分はりんちゃんとオズ君が食べた.
りんちゃんは日課の見回りで,眼下の墓の存在にすぐに気付いた.
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うにちゃんの最後の居場所だった場所に,ブラッシングで貯めていたうにちゃんの毛を置いてみた.
いま現在もこの場所にあり,多分,これから先も,ここに置き続けるだろう.
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遺影だけは机に移動して,その後もお参りし続けた.
この写真は,動物病院の先生が撮ってくれたもので,来院する子の写真を全員残らず「もの凄くよく写る」という安物のインスタントカメラで喜んで撮っていた.
そして現像して額に入れ,飼い主たちに無料で配っていた.
たぶん先生は,17年前のあの日から,この日が来る事が解っていて,精一杯の出来る事をしてくれたのだろう.
実際,うにちゃんのプリントアウトはこれ一枚しかないのだ.
あの先生もとっくに亡くなって,今は同名だがまったく血縁も関係もない病院が町に出来ている.
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最後の日は,充実した悲しくて良い日だった.これ以上望めない程パーフェクトに.
私は一人でうにちゃんの居ない宇宙に迷い込んでしまった.それはもうどうやったって覆せない.船出するフェリーの様なものだ.
生きるとゆう事は変わり続けるとゆう事だ.これから先も変わり続ける…今日が思い出せなくなるまで.

香炉灰を掃除している時,どこからともなく金木犀の香りが漂ってきた.
ある人の勧めで,金木犀の苗木を植える事にした.
毎年秋になると,きっと今日の事を思い出せるだろう.
この木だけは,絶対に枯らしてはいけないと,肝に銘じた.
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と,ここまでが,うにちゃんの物語である.
ここで終わる筈だった.
なのにその二週間後から,異変は起き始めた.
あまりにも突然すぎて,写真は一枚もない.
以下,覚えている限りで,時系列で書いてみる.

続きます

書いた人

me 小津雪ヲ: 生きるとゆう事は,雑多な問題に対処するとゆう事.
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